座談会

座談会「多文化社会の日本語コミュニケーション」

座談会

「多文化社会の日本語コミュニケーション」

 
進行役 水谷 修(名古屋外国語大学長)
座談者 久保田 真弓(関西大学教授)
ダイアン吉日(落語家)
鄭 玄実(福島韓国語・韓国文化ネットワーク代表)
西口 光一(大阪大学教授)

中野:準備が整ったようですので,これから座談会「多文化社会の日本語コミュニケーション」を始めます。
 既に座談者の方々にお並びいただいておりますので,御紹介いたします。
 なお,各座談者のプロフィールにつきましてはパンフレットの8ページから掲載しておりますので,御覧ください。
 まず,皆様から向かって右手,大阪大学留学生センター教授,西口光一さんです。
 西口さんは,社会文化的アプローチによる日本語教育の先駆者として,地域における教育研修など,非常に積極的に活躍されている方です。
 そのお隣。福島韓国語・韓国文化ネットワーク代表,鄭玄実さん。
 鄭玄実さんは,地方から文化を発信することの重要性を訴え,福島を初めとする東北地方と韓国の草の根の交流を進めていらっしゃいます。
 そのお隣。先ほどの講演会でもお話しいただきました,ダイアン吉日さん。
 ダイアンさんは落語家としてだけではなく,華道それから茶道もたしなんでいらっしゃいます。特に華道には,三先流の師範の資格もお持ちでいらっしゃいます。
 そのお隣。関西大学総合情報学部教授,久保田真弓さん。
久保田さんは元数学の先生でいらっしゃいますけれども,今は日本語教育,異文化コミュニケーションの専門家として御活躍されております。青年海外協力隊として派遣されたガーナでの御経験がこの道に進むきっかけの一つだったと伺っております。
 最後に,名古屋外国語大学長,水谷修さん。
 日本語教育の関係者にはもう御紹介の必要がないかもしれませんが,国立国語研究所所長,日本語教育学会長等歴任されまして,現在も日本語教育のために御活躍いただいております。
 進行は水谷さんにお願いしたいと思いますので,よろしくお願いします。

水谷:人物の紹介のところを御覧いただきますとお気付きになると思うんですが,今の中野さんの紹介では割合に簡明になさったんですが,実は4人の方がそれぞれすばらしい経歴を本当に一生懸命生き抜いてこられたんだなということを感じさせるという方ばかりです。多分,もし私が今番組をつくれると言われたら,お一人について1時間ずつの番組を絶対に楽しく構成できる,それぐらいの内容をお持ちです。けれども,今我々に与えられている時間はわずか75分しかありません。本当につらいところですけれども,それぞれの方の持っていらっしゃるものの20分の1か30分の1ぐらいしか今日は出していただけないだろうと,そこは我慢しなければならないかなと思っております。
 できるだけ,一番おっしゃりたいこと,一番悩まれたこと,それから,お仕事をされていて一番うれしかったこと,皆さんに訴えたいこと,そういうもののエッセンスをまず5分ぐらいの時間で御披露していただいて,その後は自由に意見の交換をしたいと思っております。
 それでは早速,久保田先生からお願いします。

久保田:皆さんこんにちは。先ほどのダイアンさんの笑いとユーモアのある話の後に上手にそれを引き継いで話せるかどうか心配ですけれどもよろしくお願いします。私は,先ほど紹介していただきましたように,大分昔ですが,青年海外協力隊で西アフリカのガーナというところに行ったことがございます。そのときの話と,その後アメリカに行きましたので,そこから私が一番大事だと思うことを私の体験からお話したいと思います。
 私が初めてガーナという国に行ったのは1980年でしたから,まだまだ今ほど情報がなかった時代です。それは日本にとってアフリカのガーナという情報がないのと同じように,ガーナの人にとっても日本人,日本ということの情報が余りなかった時代でした。ですから,私が村に入って,日本で中・高にあたる学校で数学を教えていましたが,日本人が村に住むというのが非常に珍しかった時代です。ところが,そのときも巨大国の中国でつくられたカンフー映画というものは時々アフリカでも上映されていました。ですから,アジア人を見ると,中国またはカンフー映画のイメージで人を呼ぶということがよくありました。
 私が村を歩いていますと,子供たちがこう言うんですね。「チュン・チョンチャン,チュン・チョンチャン」と言うんです。それまでは私も自分が日本人であること,中国人ではないということを余り意識したことはなかったんですけれども,どういうわけかそういうときは「私は違うんだ」という意識が芽生えます,日本人なんだというふうに思ったわけです。ところが,それを小さい子供たちに「日本人だ,中国人じゃないんだ,チュン・チョンチャンじゃないんだ」というふうに教えても,それはまた難しい話です。そこで私は自分の名前を教えるようにしたわけですね。「マユミ,マユミ」と言っていました。私の前の隊員がナオミさんだったので,「ナオミ」と呼ばれるんですが,「いやいや,マユミ」,直させるような言い方だったんですが,それで一生懸命マユミということを覚えてもらいました。
 そんな体験から,名前というのが重要だなと思ったんです。その後アメリカで勉強する機会があって,そのときも,ファーストネームで呼び合うという習慣がありましたから「久保田」というファミリーネームよりも「マユミ」というファーストネームで呼んでくれたんですね。覚えてもらうまでに,やはりちょっと時間がかかる。そこでマ・ユ・ミを英語で,「My,You,Me」ですね。これを一生懸命その都度言って,「My,You,Me」,それでマユミと覚えていただきました。いったん覚えてもらえると自分自身も居心地がいい。多少アクセント等が違っても非常に居心地が良かったという覚えがあります。
 アメリカは夫婦単位で行動しますけれども,日本では「うちの妻です」というふうに紹介しますよね。アメリカはそうではなくて,「マユミです」と紹介するわけです。そういう意味でも,マユミであるということを非常に印象づけられたし,妻だというよりも,マユミだという自分自身がそこでできたような気がします。
 最近,フィリピンに行くこともありますが,そこでは,マユミという言葉はディミュア(demure)という意味で「内気で優しい人」という意味だそうです。ちょっとそれは私には合わない意味の名前かもしれませんが,それでも覚えてもらえるというのはうれしいことだなと思いました。
 そういう意味で,久保田,その前の,結婚前の姓もありますけれども,とにかく名前で呼ぶというのが重要かと思います。もともと日本にいたときは,真弓という名前はよくキャバレーの名前で出てくるので,余り好きではなかったんですね。そんなわけで真弓という名前を意識したこともなかったんですが,アメリカから帰ってきたときに,再び日本の社会で「うちの妻です」で終わってしまうと,どうも残念だな,それだけかなという,自分のアイデンティティまで否定されたようで,悩むことがありました。幸いにして,今の学部には久保田が二人おります。そこで「真弓先生」と今は呼んでもらっています。
 そういう意味で,名前というのは重要かなと思いますし,どういうふうに呼んでもらいたいかというのも,出席名簿だけではわからないときがありますので,「どういうふうに呼んでもらいたいですか」というのを,最初に聞こうと私は思っています。
 ちょっと短いですが,以上が私の体験からお伝えしたかったことです。

水谷:どうもありがとうございました。
 私自身も,教え始めて3年目か4年目ぐらいだったでしょうかね,最初の授業の時間に学生一人一人の名前を教えてもらいました。特に東南アジアの言葉だとなかなか発音ができないものですから,ちゃんと教えろと,妥協してはいけない,そういう形でこれから自分がやろうとする教え方はこうだぞということをわかってもらうこと,それからこちらもちゃんと名前を把握するという,大事なきっかけになりますよね。
 ダイアンさんには先ほどたっぷりお話を伺ったんですが,先ほどの話と重複しても構いませんから,どうぞ。

ダイアン吉日:日本に来たばかりのときは日本語わからなかったから,みんな英語でしゃべってくれてうれしかったことが,最近,逆に悲しいことになっているときもあります。一生懸命勉強して独り暮らしで日本語で生活できるようになったけど,一番最初に「日本語わかりますか」と聞いてほしい。「日本語わかりますか」というのがなかったら,何か話がうまくいかない。最初から「わかった,わかる」と言ってあればお互いにすごい楽になる。
 英語できない友達が日本にいっぱいいる。ブラジル人の友達とか。でも日本語ができる。その友達にみんなが英語でしゃべってるのを私はすごいかわいそうと思う。彼女はポルトガル語もスペイン語もできる,旦那さんは日本人だから日本語もしゃべれる。だから一緒に食べに行くと,彼女は日本語で注文して,ウエイターさんは大体英語で彼女に質問する。彼女は英語わからないから,私を見て「何言うたん?今」。それで気付きましたね,外人みんな英語ができるわけない。
 本当に何回も言うけど,私は日本語をしゃべりたい。だけど,話の中で一つだけ単語がわからなかったとき,いきなり全部英語に直します。変わってくる。最初の15分うまく日本語でしゃべっても,いきなり一つの言葉がわからなかっただけで,全部英語で言わないと駄目と思ってしまう人が多い。あれは私ちょっと悲しい。だから,すみませんとかわからないとか言えなくなった。怖くなりましたね。
 それと,英語で説明しないと駄目と思う人も多いから,子供が一番楽。子供としゃべるのはすごい楽しい。例えば「博物館」の言葉わからなかったら,大体周りの人は「博物館は何ですか,田中さん辞書持ってきて」と。でもそういう意味じゃなくて,違う言い方でもいいから日本語で言ってほしい,私わかるかもしれない。子供に「博物館は何ですか」と聞いたら,「大きな建物,何か古いものいっぱい置いてある,恐竜の骨もある」と。「ああ,わかったわかった」となって,それがすごくうれしい。だから,英語に通訳するより違う言い方で言ってほしいときもいっぱいありますね。それがちょっと最近気付いたことです。

水谷:はい,ありがとうございました。
 私たちの習慣としてやっぱりどこかで形式的に,外国人と話すときには英語でとか,フランス人ならフランス語だろうとかそういう発想をしやすいですが,そうではないようですね。
 続けてお話伺っていきましょう。鄭さん,どうぞ。

鄭:私は福島から昨夜京都に来ました。日本に来て21年になります。17年間東京で暮らしました。東京で暮らしたときに気付かなかったこと,福島に暮らして5年になりますが,福島に来て初めて気付いたことを今日話させていただこうと思います。
 実は17年東京に暮らしていても,自分が日本語を普通にしゃべっていても,日本について,日本語について本当に知っていたかなと,そんなふうな思いを福島に来てしたことがあります。
 まず福島に来て,片田舎のちょっと農家のあるところに引っ越ししました。そうすると,たまたま大変日照りがちで,前の家のおばあちゃんのところに庭木があって,そのおばあちゃんが調子悪いかどうかで入院なさってしまったんですね。それで,私は水やりをしました。お帰りになったおばあちゃんが私に「ありがとう」っておっしゃってくださったので,「いえいえ」って,それで終わるかと思ったんですが,翌日ごみを出しに行ったらまた「昨日はどうもありがとう」っておっしゃるんです。「まあとんでもないです」とつながっていくんですが,三日目に,今度スーパーで会いました。「先日はどうもありがとう」。3カ月ぐらいたってまたお会いしたら,「この間はどうもありがとう」と。これいつまで続くんだろうと思ったわけです。つまり,都会で17年も暮らしていて,手前みそですがこれだけ日本語は話せます。全く不便を感じたことはないんですが,本当のありがとうは何度も言うんだという,この使い方に気付いたことはなかったんです。初めてそのおばあちゃんから「昔からありがとうは三度言うんだよ」と言われて,本当に驚いたんです。
 そういった経験が福島で初めてあって,韓国でも同じ「コマウオ」とか「カムサハムニダ」という「ありがとう」の言葉はあるんですよ。それって1回だけ言うんです。じゃあ,韓国の人は感謝の気持ちが1回きりなのかというとそういうわけではない。どちらかというと心にずっと思い続けるものという感覚があって,口で何度も言ってしまうと消えてしまう,あるいはすごく軽い,あるいは「本当に思っているの?」と,同じ言葉なんだけど,使い方が違う。どっちが,例えば韓国人がお礼の気持ちが軽くて日本人の方が重いとか,どっちが正しいとか間違ってるという世界ではないんですね。どっちもその国の言葉のあり方,つまりコミュニケーション・スタイルが違うだけだということに初めて福島に来て気付いたんです。
 勉強不足だったかもしれません。しかし,都会では余りに忙しかった,あるいは近所でごあいさつをしないで暮らすような環境にあった。そういった暮らしのパターンも違っていたかもしれない。大きな道路で,隣の80を超えたおばあちゃんが「ちょっとお茶飲みがんしょ」と言って呼んでくれるような環境なんです。そうすると,そういったありがとうの言葉一つだけでも,17年をすべて乗り越えて初めて日本語のコミュニケーション・スタイルに出会うという,こういったことは初めて地方の片田舎で暮らして,つまり韓国から日本に来て暮らして初めて気付きました。私は異文化とか,あるいは韓国語という自分の母語が,初めて日本語のスタイルと違うことに気付いたんです。これはおもしろかった。このことが,私の地方に暮らしてこそ外国人として日本語を知るといういいきっかけになったという,地方から言葉を発信するとか,あるいは文化を発信するということへのつながりになったわけです。
 ちなみに,例えば,私は地方に来て初めて日本語のあり方,あるいはそれによって母語への気付きができた。市民講座などで日本人の皆さんに韓国語を教えながらこういう話をしますと,不思議に今までただ韓国語を習おうとしていた人が,韓国の文化への尽きない興味が沸いてくる。それからもう一つ,ああ,韓国人と付き合ったときに,お礼は1回しか言われたことがない,無礼だな,失礼だなということの誤解が解けていく。普通に暮らしていて気が付かないけれども,「ああ,日本語で,そういえば私たち何度もお礼の言葉を言うわね」という気付きになってくださっていることに私は最近気付いたわけです。
 それからもう一つ。地方に行って初めて,私は日本語のスタイルの違いに気付いたんですけれども,今度,私は福島で山を越え谷を越え,山奥の小さな村にこういう文化だとかコミュニケーション・スタイルとか国際理解の講演に行きますけれども,そんなときによく,田舎の町で子供に大きい声で例えば韓国語で話すと,町中の人が「今のオンマって何だ?」と興味を持ってくれている。そういう様子を,例えば私が子供に「パリカジャ,パリカジャ」と言うと,隣の子供が「今の何」と聞く。「早く行こう早く行こう」だと答えると,周り中の子供たちがみんなはしゃいでその言葉をまねして楽しんでいるという光景を,私たちの片田舎の小さな町に行きますと,そこには,ちなみに福島とか山形には韓国,中国,フィリピン,圧倒的にお嫁さんで来てらっしゃる方が多いんですよ。その方々の間には自分の中国語,フィリピンあるいは韓国語を家庭でしゃべらせることをさせないというのがほとんどなんです。というのは,優しさからなんですよ。せっかく日本に来たから日本語をまず先に。それから,わけのわからない言葉をしゃべって皆さんに迷惑のかからないようにという配慮からなんですけど,私が自分で韓国語を大きな声で遠慮なくしゃべっていることを話すことによって,初めて「おいら嫁さんに中国語しゃべらせっぺ」と言って腰の曲がったおばあちゃんが言ってくださる。どうやら地方に行けば行くほど自分の日本語以外の,どうしても外国語というと英語だけ,英語が大事だと思っていないわけではないんですが,どうしても身近にいるアジアから来た国々の人たちの言葉ということに対する意識がすごく少ないなというような思いをすることもよくあります。

水谷:はい,ありがとうございました。
 今日のこの後のお話し合いのテーマは,もしかすると「気付き」,異文化を持った人の持っているものをどう気付いていくか。逆に言って,外から来た人たちがどう自分たちの持っているものを主張するか,日本人に気付いてもらうかと,そういうことをテーマにしていくと良さそうですね。
 私も学生に何回も聞かれました。「何回お礼を言ったらいいんですか」と。これは本当に答えに困りましたね。実は,関係によっても違うし,ねらいによっても違ってくるからというのもあると思いますが。
 はい。それでは最後に西口さんにお願いしましょう。

西口:この座談会で第一ラウンドのお題は,異文化間コミュニケーションで苦労したこと,あるいは異文化間コミュニケーションの難しさということですね。
 この最初のお題をいただいて,僕ははたと困ったわけですね。それはどういうことかというと,僕は異文化間コミュニケーションで苦労したことがない,その難しさもわからないと思ったんですね。
 そういう結論から申し上げて,多少これは異文化間コミュニケーションというのかなという事例を一つだけお話しますと,今から10年ぐらい前ですね,僕は仕事でアメリカに行って,そこで暮らすことがありました。当時,まあまあ人並み程度には英語が話せたわけですけれども,外国で暮らすのは初めてでした。それで,初めてスーパーに行って買い物をしました。そのときに買ったものを持ってレジに行きますね。それで,がちゃがちゃレジをこうやりはって,この後は,「何とかダラーズ・アンド・何とかセンツ」とこういうのが来るだろうと思ったんですね。そうすると,予想に反して「トゥエンティーファイブ,トゥエンティーセブン」と言われたんですね。「え,何?」なんぼなのかわからないんですね。「トゥエンティーセブンダラーズか?」とか何とか聞きましてね,「いや違う,トゥエンティーファイブ,トゥエンティーセブン」とまた向こうが言って。何かわかりませんからね。それでもう,この人の話聞いてるよりもレジの数字見た方が早いわと思ってレジの数字を見たら25の27と書いてありましたから,これでああ,25ドル27セントだと思って払ったわけです。
 これはやっぱり習ったのと現実は違うなと思いまして,その次にお金を払ってお釣りもらって何か言うてはりましたけど,確認なんかできません,ちゃんとほんまに正しいお釣りもらっているかわかりません。どきどきしてるんですね。その次に向こうの人が言ったのは「Paper or Plastic?」です。「Paper or plastic?」?ペーパーとプラスチックと僕とどう関係あるのと思いまして「What do you mean by paper or plastic?」とか何とか言うたら,「Do you want a paper bag or plastic bag?」と言ったんですね。僕は「I didn't come to bay a bag?」と流暢な英語で言いましたね。そしたら向こうの人はもう一度「Do you want a PAPER bag or PLASTIC bag?」と言うんです。僕は「No, no. No bag please.」とか言って,お互いにそうしていいかわからず,こんなに買い物して「no bag」でどうするのかと言ってね。それで最後に向こうの人は紙袋とビニールの袋を指差して「Do you want this or this?」と言ってくれて,ああ,じゃあ,ここはまだエコロジーの意識がないので,プラスチックバッグの方をもらったという経験をして,ああ,異文化というのはこういうものなんだなと初めて思いました。でも,これってシリアスじゃないんですよね。別にどうってことじゃないという感じで。
 最初に申し上げました,僕自身が異文化間コミュニケーションで苦労したこととか困ったこととかを話すのは難しい。苦労したことがないと申し上げたのは,実は僕自身が社会的な弱者の地位にないからではないかなと思ったんです。つまり,別に困らないんですよね。スーパーでは適当にお金払ったら,基本的にちゃんとお釣りくれますし,3ドル間違ったって僕がそれでものすごく明日から生活に困るわけではない。経済的にも別に弱者じゃないし,社会的なステータスとしても一応学校の先生として行きましたから,仕事の中ではそれなりにリスペクトされて生きていけるわけです。
 異文化間コミュニケーションというのが本当に大きな問題になるのは,やっぱり異文化というものが立ちはだかるときですね。立ちはだかって,かつ逃げられない。つまり,逃れられないという状況があると,やっぱり一つ一つの場面のコミュニケーションというのが自分にとって重大な問題として,自分の存在にかかわるような問題になるということなんだろうと思いますね。
 だから恐らく,わかりませんけども,こちらの壇上にいる方々も会場の多くの方々も,本当に異文化にがーんと立ちはだかられて逃れられなくて,それでもう何とか格闘したという経験がない,割と相対的には少ないんじゃないかなというのを,今朝,このお題をいただいて感じました。

水谷:はい,ありがとうございました。
 私個人の異文化間のコミュニケーションの問題は,実は大学を出てICUで仕事を始めて日本語を教え始めたときに,外国人の学生たちではなく日本社会の中,雑貨屋さんへ買い物に行ったときに経験しましてね。入っていくときに何と言って入るか,もう外国人に教え始めて,頭の中がそういうことは危ないとかいう点に多分気が付いていたと思うんですね。それで,直接入るのをやめて,入り口のすぐ近くで2時間半ぐらい観察したんです。みんなどう言って入っていくか。どうも「ごめんください」というのは違いますし,いろんな入り方があるだろうけれど,そうしたら「ちょうだいな」というやつがあるというのを初めて知った。そんなことだから,これは決定的に重大な異文化間の問題ではないけれども,外国人だからということだけではなくて,実は人間対人間の,社会対社会の中では常に異文化的な問題が存在するんだ,非常に普遍性の高い問題として我々は考えなければいけないのではないのかと。
 さあ,今のお話,それぞれお聞きになったり,あるいはお話になった後で,これを言いたかったということからどんどん入っていきましょう。はい。どなたでも。

西口:皆さんの話も伺って,それからダイアンさんの話で,何か日本人と日本語で話していて,一つ言葉がわからなかったらすぐに相手の人がもう英語に切りかえてしまうとか,何とか英語で言おうとしてしまうということを聞いて,これも僕自身の話ですけれども,僕は海外に行っても現地の言葉で話すとか英語で話すことは余りしないんです。どこ行っても日本語なんですよね。旅行者として行っている限りは,日本語で大概のところはやっていけるんですね。もちろん数字ぐらい紙に書いて示すとかそういうことはあります。
 これは先ほどの僕の話にちょっとつながるわけですが,旅行者というのは本当の意味でのゲストなんですよね。それプラスこっちが客というね,向こうは丁重に扱わないといけない。それでサービスを提供して,あるいは物を買ってもらってお金をもらうという,僕はそういう意味でお客さんとしてこうやって扱ってくれるわけで,お客さんの言うことは一生懸命聞こうとするんですね。お客さんがわけわからなくても忍耐強く聞いてくれる。これも先ほど僕が言いました立場が強い側なんですよね。その場合に,やっぱり誤解があっても向こうが一生懸命にそれを取り繕ってくれようとする,何とかわかってくれようとするということがあるわけです。
 もう一言だけ申し上げると,社会というのは実は文明という層と文化という層があるんじゃないかなと思うんですね。文明というのは簡単に言うと便利さのシステム,あるいは便利な道具がいろんなふうに組み合わさって生活を快適にできるようにしていると。そういう層の上に文化という層がありまして,立場の強い人間あるいは権力のある人間は,結構文明の層で上手に便利さを活用する,自分のために活用することができるんですね。ところが,やっぱり立場の弱い人というのは文化の層に何か巻き込まれて,そこに従属させられながら文明にもやっと参加させてもらえるというような,そういうことがあるのではないかなと思いまして。
 そんなことで言うと,できるだけ,文明に,日本の社会というのはいわゆる現代の文明社会の一つですけれども,文明のところには外国人の方も早く入れるようにして,文化のところは先ほど言いました,立ちはだかるんですよね,日本の場合は。それが日本の社会の大きな問題かなと思っています。

久保田:なかなか難しいお話だったので,もうちょっと引き戻して私なりに解釈したいと思うんですが,先ほどの社会的弱者とか,文明に入るのか文化の方ではどうかという大きな問題が出たんですけれども,例えば,私はフィリピンによく行くんですね。フィリピンでは,日本人と見たらタクシーに乗ってもぼられることがあります。やはりこれだけの経済的な地位の違いが歴然としてあるので,フィリピンに行くときは,国としての違いというのもしょって立って日本人として入るということを意識しています。そうすると,やっぱり一言二言でもいいからタガログ語で,フィリピンの言葉でタクシードライバーと話して,その後はもう続かないから英語になってしまうんですけども,そういう努力をしたりします。
 あとガーナでも,宗主国がイギリスでしたから教育は全部英語でしたけれども,市場に行けば現地語のチュイ語というのを話さないと,どうしてもマーケットでいいものが買えないことがあります。そこで,一言二言でも現地語で話すとぐっと相手側に入っていけるというのがあると思うんですよね。だから,相手側にぐっと入るという意味で,それが留学生と対していても,留学生がどういうふうに今思っているのかというのを,うまくとらえられるとおもしろいかなと思っています。
 もう一つだけエピソードをお話しします。今あいさつのことがいろいろ出てましたけれども,雑貨屋さんに入っていって店の人にどう言うのか。「いらっしゃい」と言った後に「サンキュー」とは言わないですよね。だから,あいさつでちゃんと二人で会話になっているのかというとそうでもない。留学生に「あいさつって二人でしますよね」と言ったら,「あいさつ,いや,一人でします」という答えなんですね。そこで一人でするあいさつあったかなと思って,いろいろポストイットに一言ずつあいさつを思いつくままに書かせました。そうすると「こんにちは」というのが出てきます。いろいろ出てくるんですが,一人でするあいさつは,どんなのが挙がってくるかなと思ったら,「あいさつお願いします」「これで上がります」というのが出てくるんですね。何かな,この「あいさつお願いします」,こういうあいさつあったかなと思っていろいろ聞いてみると,要するに彼は居酒屋でアルバイトをしているので,鏡に向かって紙に書いてもらったあいさつの言葉を一生懸命自分で練習してるというんですね。それで,その中に「いらっしゃいませ」も入っているし,「これで上がります」も入っているんですが,その指示の言葉として,あいさつをちゃんとしなさいという意味で「あいさつお願いします」という,一文が入っていたんですね。それまで覚えてしまって「あいさつお願いします」というのを一生懸命言っていたんです。居酒屋とかでのアルバイトが多ければそういう言葉が出てくるのも不思議ではありませんよね。本に出てくるような冠婚葬祭のあいさつが素直にそのままパターンどおり出てくるとは限らないでしょう。
 そういう意味で,「ああ,そうなんだ」と私も気付かされたんです。異文化コミュニケーションといったときの「コミュニケーション」が入っていたら,双方向で気付くというのがどこかここかにあるわけで,そうしてまた両方が気付くから次に進めるし,そこにおもしろさがあるのかなという気がします。

水谷:今おっしゃったその具体的なコミュニケーション,自分が言いたいこと,それから相手に聞いてもらいたいこと,そのコミュニケーションの結びつき,それをうまく発見していくにはどうするか。要するに,その「気付く」というのも何を求めているか,自分が何が欲しいかということを気付かせるということですよね。そこら辺りにできるだけ焦点を絞って,特に御経験の中からこういうことが手をつなぐことにつながるといいんですが。

鄭:今たまたま「気付く」という話が出たんですけれども,実は私の場合は似ているけれども,違うことに気付くというのが一つ,オン・テーマなんじゃないかと思って暮らしております。
 私,さっき久保田先生が中国人に間違われたという話をなさったんですけど,私の場合は,普通に話して暮らしていれば,別段韓国人だいうのに気付かないでいるんですね。例えば私が,ちょっと今ここで言うのは大変恥ずかしいんですけども,本でも書いてしまったのでもう公表していますが,「私は人徳がある」と7年間も自分で自分を褒めていたんです。というのは,皆さんから「いやあ,今日は大盛況ですね」とかちょっと褒められると,私は「いや,私の人徳があるんですよ」と言っていたんです。7年間もこれに気付けなかった。これ間違いですよね。韓国語の「私は人徳がある」「インドギ イッタ,インドギ マンタ」というのは「人様のおかげでです」という意味なんですよ。「人様の徳のおかげです」というそっくりなものがあるものですから,日本語と韓国語の漢字が似ていて,語順も同じで,ついつい「ああ,韓国語と同じだ」という勘違いをする。そうすると,それを普通に使ってしまうことがよくあります。
 それ一つに限らずそういったことはよくあるんですけれども,そうすると日本の皆さんは大変ショッキングな,あるいはそれを指摘してあげるにはちょっとかわいそうだなと思う,余り間違いを指摘することを美徳としない文化があるんですね。そうすると,長い時間もう同じ間違いを繰り返してきたと。これを気付かせていただいた人,今でも覚えているんです。日本の社会の中で,外国人に対する,あるいはちょっとした間違いに対し,気付かせてあげるとか促せるとか,コミュニケートする積極さみたいなものが少し低いのかなと感じるときがあります。
 私がちょっと間違いをしたときには,気付かせてください,あるいは教えてくださいねと,私の方から今は積極的に皆さんに申し上げてそういうことを学んでいます。
 つまり,日本の社会にいて何年も暮らしているけれども,本当の使い方の違いがなかなか気付きにくいということに対してちょっと申し上げたかったんです。

水谷:これちょっと突っ込んでいきましょう。外国人の立場で,特に今の講師の方ぐらい日本語がうまくなってくると,遠慮して日本人は直さないはずです。昔,ジョーデンというアメリカ人の日本語の先生がいて,私の日本語を直してくれるのは水谷だけだと言う。なぜ我々が間違いを指摘できないのかとか,どうやったら我々自身が安心して指摘できるのか,気付かせられるかと,そういう発想を教えてくれた人がいたわけですね。
 その人はどういうやり方で教えてくれたんですか。

鄭:彼は韓国語を勉強していて,私の生徒さんでもあった。そうすると,同じように自分が韓国語を日本語と同じだと思って間違いをしたんですね。そのことに自分が気付いて,初めて私に「もしかしたら先生も同じように間違いをしているんじゃないですか」と。私とそっくりな経験をしたんです。
 私が今,福島で,フィリピンの嫁さんや韓国の嫁さんを持っていらっしゃる方々から相談を受けたときに,中学生の息子さんが「お母さん,学校に来ないで」と言ったそうです。どうしてなのか聞くと,「日本語が下手だから恥ずかしい」。それで,その韓国人のお母さんに,韓国に連れて行って少しでもいいから韓国語を学ばせてみてくださいと教えてあげました。実際,夏休みにうんとおいしいものを食べさせるからとかいろいろ息子に言って,韓国に連れて行ったんだそうです。そのときに韓国語の難しさ,外国語を学ぶ難しさに彼は直接ぶつかったわけですね。帰ってきてからお母さんに対する態度が大分違ってきたと,そういう電話をいただきました。
 やはり自分の母語に気付いてもらう,外国語というのは英語だけではない。いろんな身近な誤解を生む。例えば,姑さんが嫁さんのタガログ語で,あいさつだけでも,あるいは名前だけでも,幾つかだけでも嫁さんに話しかける関係になると,随分その嫁さんは楽しく同じ家族の中でいられると思うんですよね。そういう話をよく講演でするんですよ。意外と成功するんですね。

水谷:なるほどね。ダイアンさんも何かありませんか,上手な気づかせ方とか,気付かせられて今でもありがたかったとか,そういうものはありませんか。

ダイアン吉日:私,ありがたいのは,はっきり私に言う人と一緒にいてたから,日本ってはっきり言うたら何か失礼と思うんですよね。それで大体同じ間違いがずっと続く。
 最初に,「ダイアン,それはすごい失礼です」と言ってくれたら助かる。でも言ったらあかんと思う人がいるんですよね。だから,ちょっとあいまいでわかりにくいところがいっぱいあります。
 わかりにくい日本語で言ったら例えば「ちょっと」。「ちょっと」は「ちょっとだけ」の「ちょっと」だと思ってたら,「明日会いましょうか」と聞くと,「明日はちょっと」。明日ちょっと会いましょう,ちょっと行きましょう,ちょっとやめとく,ちょっと考えるとかすごいわかりにくい。でも,ちょっとではっきり言うと「明日はちょっと行きません」とか。
 特に今落語の世界に入っています。それはすごいかたい世界というか歴史が長い。先輩いっぱいいます。それで,どうしていいかわからないとき結構いっぱいあります。だから部屋に入ったら,特に正月ですごい偉い先輩がいっぱい座ってました。部屋に入ったら先にだれにあいさつしたらいいかわからない。みんな師匠です。だから,あのときだれかはっきり言ってほしかった。先に春団治師匠にあいさつした方がいいとか。もう私この辺にいきなり座っちゃった。それで逆に失礼に。すごい困った。特に落語の世界では正しいマナーしないと。まあ外人だからわからないから許すというのは,私は逆に嫌。正しくちゃんとやりたいこといっぱいあります。そのところでちょっとストレスたまるときがありますね。

水谷:そういうときにうまくやるために,例えばいい友達をつくるとか,今の場合だったら近くにいる会社の人とか事務所の人のどういう人にちょっと相談したらいいとか,そういうことは考えませんか。

ダイアン吉日:一番最初は,目立たないようにとか,ダイアンが入ってるから面倒くさいと思ってほしくないから我慢してた。日本の文化のここのところわからないけどどうしたらいいかな,困るなと,ストレスたまってた。本当に困ってた。今ははっきり言ってる。みんなに「すみません,今ちょっとわからなかった,どうしたらいいですか」と聞けるようになりました。すごい楽になった。

水谷:聞ける人を探す方法があるはずですよね。どうですか。

西口:今ダイアンさんがおっしゃったことは,聞いたら教えてくれるということですよね。

ダイアン吉日:そうです。聞かなかったら…。

西口:そうそう。聞かなかったら教えてくれない。
 そこも大事だと思います。先ほどおっしゃったように,多分,今の人は違ってきてるかもしれませんけれども,やはり相手の日本語の間違いを指摘したら相手が嫌な気持ちになるかなと思って言わないと,簡単に言うとそういうことだと思うんですね。そういう日本人たちなんだから,じゃ聞こうと思ったわけでしょう。そしたら割と教えてくれるんですよね。

ダイアン吉日:そう。

西口:外国人の立場からすると「聞く」という方略というのかな,それをする。逆にいわゆる日本語の支援活動なんかをやっている日本人のサイドから言うと,わからないからわかりません,教えてくださいと言ったら,それは教えてくれるよということを,今度はサポーターが外国人の人に教えてあげると。そういうことをやると大分暮らしやすくなるんですよね。

ダイアン吉日:楽になるね。

水谷:私は,最初に契約みたいに「間違いは直していい?」と聞きます。そして,始めたら後はもう,周りに人がいるときは気を付けます,恥はかかせたくないから。だけど,そういう配慮をするけれども,関係ができていれば「さっき違ってたよ,あれ」と言うのですね。だけど,一番最初に「直していい?」ということを聞かれたらどんな感じがしますか,そのときは。つらいですか。

ダイアン吉日:いや,私うれしいけど,まあ人によると思いますね。私の友達,何か言ったらすごい恥ずかしくなった。だから,しゃべれなくなる。彼女は10年間日本に住んでたけど,日本語覚えてない。理由は,間違ったら,何か言われてすごい恥ずかしくなって自信なくなる。私は逆で,間違ったら言ってほしい。

水谷:でも,言ってほしい人の方が多いですよね。

ダイアン吉日:ちゃんと勉強したいから,日本で私も日本語で頑張りたい。だから,さっき言ったけど,英語で言ってくれるのはいいときもあるけど,自信がなくなるときもある。一生懸命勉強したからちょっとショック受けるときあるんやけど,間違いははっきり言っても全然大丈夫。「直さないと駄目」といきなり言ったら,「ああ,じゃ下手くそなのかな」とも思う。難しいところ。

水谷:ああ,そうか。直さないと駄目だということを言うとおせっかいですね。
 気付かせるということ,気付いてもらうということ,それから気付くように情報を出してほしいということですね。

鄭:今,関係という話,気付くという話が出たんですけど,私の場合,最も気付かせてくれた人は夫です。つまり,結婚前と結婚後は随分違います。日本の文化を,あるいは日本語をまともに知るためには結婚しなきゃ駄目。そこまで思ったんです。

水谷:ダイアンさん,どうしよう。

鄭:ごめんなさいね。つまり,非常に深い人間関係,個人と個人間の関係の近接度,接近度,それが必要に思うんですよ。私は大学の4年間,大学院もずっと,友達として物足りなかった。だけど,今地方に来て意外とそれができるようになったので,ああ,東京だけが日本じゃないんだと非常に喜びを感じるんです。地方に行くと,私が韓国の地方で暮らしていたのとほとんど変わらない環境があって,しかも個人,韓国人としての個人,日本人としての個人の二人の関係が,非常に緊密な関係がつくられるという気がするんですよ。遠慮なく,こっちも遠慮なく。時には習慣も無条件に,郷に入れば郷に従えで日本スタイルで同化を強いるというところが時々あったりするのですが,それも時には韓国スタイルでというのも,それが楽しくなったり,向こうもそれを味わうことを非常に喜んでくれたり,その関係が育つんですね。
 ですから,私は言葉にしても文化にしても,地方の,もっと人間関係が柔軟な地方からの文化を発信するということに意味があるのかなとより強く気付いたりします。どうなんでしょうね。都会に住んでいる人はかわいそうなんですけど。

水谷:結婚した場合でもなかなか気づかせてくれない亭主もあり得ると思うんですよね。

鄭:そうです。それじゃ感謝するべきですね。

水谷:ええ。ですから,していなくても,それに近い人は一体どんな人ですか。いるはずですよ,どうぞ。

久保田:どんな人という回答ではないんですけど,やっぱり先生と生徒では,その力関係がどうしても決まってしまうので,そうではなくて,結婚までいかなくても人間関係をつくるとか意見を言い合える雰囲気をつくるとかする努力が必要でしょう。また,教師側にも「それは知らなかった」,「ああそうか,おもしろい」という発見があると,関係がもっと対等になるんではないでしょうか。そういう気付きが両方にあると,教える教わるの関係が対等になるのかもしれません。もう一つ,学習者の方からは聞く,教えてくださいという気持ちがあれば聞けるわけですよね。教える側も自ら自分の感性というのをきちんと磨いておいて対応しないといけないと思うんですね。今言葉の話がたくさん出ましたが,異文化コミュニケーションのときに非言語つまり言葉によらないところのコミュニケーション(コミュニケーション・スタイルという言葉も出てきましたが),そういう違いもかなりあると思います。例えば,時間の感覚とか空間をどうとるかとか接触するかどうかとかいう問題です。あと,言葉のトーンですよね。大きい声で話すとか。フィリピン人同士の会話なんてけんかしているのかなと思うぐらい大きい声でしゃべってるんですけど,別にけんかではなくて普通の会話だったりするんですが,音だけ聞いてるとけんかが始まったのかなと思ったりします。ガーナ人同士だったら同時発話でずっと話したりしますから,その中で「えっ」と思って引いてしまうというのがあります。
 そういうことで,何か変だな,何か私たちと違うなという感覚があれば,つまり変だと思ったときに,「だから嫌なんだ」と思わないで,「どうしてかな」というようにちょっと考えてみたり,また相手の立場に立ってどうしてそうするのかなというのを考えられるとお互いの気付きが増えるかなという気がするんです。

水谷:そうですね。授業を見ていて,先生の姿勢で一番気になるのは,威張っているのが本当に困る。威張っているというのは実は基本的に言えば自信がなくて,相手に近付いて言えないということだろうと思うのですけど,とにかく授業が成立したときというのは権力関係があるんですよ。生徒の方から積極的に気付いてくれというのは言い出せるわけではないんだから,先生の方が一歩だけ前に出て,それから後は生徒の方が動いてくると思うんですけどね。
 教師が,人間同士だという,個人対個人で教育は成立しているというのをもうちょっと広げた方がいいかな。権威主義で教室は成立するという面があって,それが社会の中のコミュニケーション場面でもそれをむしろ意識し過ぎて,自分は言っていいだろうかとか,こいつは生意気だとかというようなことが生まれてくるような気がするんですね。一人一人の弱い人間で,一方ではやっぱり強さも主張できる人間でという,個人としてのコミュニケーションというのを前提にすればちっとも恥ずかしいこともないし,とらわれることはないと思うんですが,やっぱり弱いから何か権威をどこかで持ちたくなって身を守りたくなるという気がするんですが。

西口:気付くということ,あるいは気付かせるということで話したいのですが,ある種の意識というのかな,自分は今現在異文化の国で暮らしてるんだから,ほかの人がやっているのをよく見て,ああ,日本ではこういうふうに物事をやるんだなとか,ああ,こういう場面ではこういうふうにしゃべるんだなというのを観察する,あるいは「ありがとう」ということでも,日本では「先日はどうもありがとうございました」「この間はどうもありがとうございました」,こういうふうにやるんだなと気付くことはできるんですよね。それはある種のそういう気付こうとする意識があれば気付くことができるわけですけれども,難しいのは「わかった,でも私にはできない」,あるいは「わかった,でも私はそういうふうにやられるのはすごく嫌だ」という,そこの水準があると思うんですね。
 これが最初に申し上げた,その相手の社会というのが立ちはだかってるとこれは苦しいんですよね。もうそこから逃れられないという状況であればね。でも,日本で生活しているけれども自分が日本人と接触するのはここだけですと,1週間に2時間だけですとか,あるいは1週間に1回ここで何かアルバイトをするとか活動するときだけですとか,そういうことであればここの現場では我慢できるんですよね。残りの6日間は自分のまあ言うたら安全なゾーンで生活しているわけですから。
 だから,やっぱり立ちはだかっている人の場合に,気付いてもできない,あるいはそういうふうにされるのはすごく嫌だというのを,いわゆる我々というか日本人側というか,ホスト社会の側の人間がこれからどうしたらいいのかというのも考えないといけない。外国人の人にとっても居心地がいいような特別ゾーンというんですかね,そういうのを何かつくれないかなと。
 そういう意味で言うと,我々は日本語話者あるいは日本人というふうに自分自身のことを思っているわけですけれども,僕自身は片仮名で「ニホンゴ人」。日本語を話します,でも日本人じゃない。あるいはネイティブ・スピーカー・オブ・ジャパニーズということで日本語話者じゃない,ニホンゴ人。片仮名のニホンゴ人ですからね。日本語でしゃべる,でも日本人の作法とかそんなんあんまり気にせんでもいいよというような,そういうふうなニホンゴ人がもっと普通に増えてきたら,外国人,あるいは新しく日本で暮らすようになった人がすごく楽になるんじゃないかなということを僕はよく考えてるんですけどね。

水谷:今の問題,決着付けていくために,先ほどお話あったけど,笑顔が心を開くきっかけになる。だけど,今の西口さんの話だと,一方的に笑顔をやっても向こうが向いてくれない場合もあるということですよね。

西口:そうです。

ダイアン吉日:でも大体うちとけると思いますね,笑顔をしたら。よく「すみません,舞子駅でおりたいけど,この電車乗っていいですか」と聞こうとすると,こっちを絶対に見ない,一番最初。「すみません」と言うとこうなる。うわあ,きたきたきたみたいな感じに。日本語でしゃべって,笑顔をしたら一気に笑顔戻ってくる。大人は多分シャイやから。だけど,本当に世界中で笑顔通じる。言葉わからなくてもいいときもある。
 駅で,梅田駅出たとき「すみません,うめだ花月に行きたいけど,何番出口から出たらいいですか」と聞いたときに,駅員は「アイ・ドント・ノー・イングリッシュ」と言った。ちょっと待て,今日本語だったよと。後で説明したら「ごめん,顔だけ見たから絶対に英語話してると思ったから」とすごい笑ってましたけど,笑ったら雰囲気すごいやわらかくなる。困ってるときでもお互いに笑ったら楽になる。まじめな顔で,めちゃめちゃ優しい人でもまじめな顔してたら,私緊張する。すごく優しい,何かジェスチャーいろいろしてくれるけど,全然笑わなかったら私緊張する。

水谷:専門家ですから伺いますが,日本人の笑顔っていろいろあるでしょう。一つは本当に心を開いた笑いもあるけど,ごまかすための笑いもあるでしょう。あれどう思っているのか。

ダイアン吉日:わかりにくいね。

鄭:私はわかりますけれども,一番ショックを受けるんですよね。韓国人という言い方がちょっとどうかわからないですけど,韓国的ないろんなことというのは今テレビでドラマブームで,ドラマの中で韓国のいろんな文化とかスタイルとか言葉とか知るんですよね。今,笑顔はまるで世界共通語のパスワードみたいな感じで,私はすばらしいと思うんですけれども,うちの中でドラマを見て,あるいは私の生徒さんの中でも韓国のドラマを見て,今まで韓国に対して疑問に思っていたことを払拭するようなことがよくあるらしいんですよ。ものすごく激しく取っくみ合いでけんかをしたり,日本で夫婦げんかをするときはドアを閉めるらしいですね。あれ不思議ですよね。あるいは,何か日本語というのは,あうんの呼吸とか沈黙は金なりとかよくありますよね。そういうあうんではわからないですよね。日本人同士だとわかるようなんですが,私はちょっとよくわからないので。
 私自身はどちらかというと思ったことを全部夫婦でも吐き出して,好きなだけ言って,そこでぶつかり合います。それでスカッとするというのを好みとする性格なので。最近夫が韓国のドラマを見てすごくよく理解してくれたり。それから,韓国のドラマを見る視聴者の多くの方々が,意外とそのドラマで,さっきまでものすごく激しくけんかをしてたのにいつの間にかとても仲良くなることを見てびっくりしたり,あるいはすごく爽快感,心地よさというのをどこかに味わうような,そういうのを言ってきたりするんですよ。「あれ良さそうだよね,意外とね」と,やっぱりスタイルがあると思うんですね。
 今,笑顔っておっしゃってたんですけど,言葉が全く通じなくても,あるいは上手でも,お互いに双方向からでないといけないと思います。例えばこっちだけ笑顔をつくってて相手はつくらないと,これは日本人,韓国人を問わずですけれども,思うんですね。少なくとも日本の側の皆さんのそれに対する,気付こうとする気持ちがどこかに生まれてこそ,これはいけるんだと思うんですよ。
 もうシャットアウトして相手にだけ変わってくれとか,外国人も同じですね,日本人にだけわかってくれという,私もそういう時期がありましたけれども,やっぱり自分はここに暮らしているんだ,でも少なくとも外国から来た人はどちらかというとひとりぼっちなんですね。時々私は病気になることがあるんですよ。何でこんな病気になるのかなと思ったら,開放感なんだなと気付くときもあるんですよ,無性に。

水谷:だんだんこれからおもしろくなりそうなところで時間が来ましたね。あうんの呼吸というのが最近通じなくなりましてね。ものの本とかで「日本人は」ということは危ないと思いますよ。

鄭:そうですよね。私もよく,私は韓国人の代表じゃないんだよ。私は私一人,個人なんだよという言い方をよくしたりするんですけど,まさにそのとおりですね。

水谷:それではいよいよ締めに入りたいと思いますので,1分間で一言ずつ,言い残したこと,それから今の話の流れで言いたいこと,何でもいいですからどうぞ。

西口:よく言葉と文化というのは深く結びついているというふうに言われますね。それで言うと,日本では日本語と日本文化は深く結びついているということになるわけですね。この座談会のタイトルは「多文化社会の日本語コミュニケーション」ということで,普通に漢字で「日本語」というふうに書いてあるわけですね。そうすると,この漢字で書いてある日本語というのを外国人の人に身につけてもらおうということは,日本の文化に同化せえということですよね。それは僕はちょっと違うんじゃないかなと思います。ですから僕は,本来であれば多文化社会の,片仮名でニホンゴコミュニケーションという,そういうのを我々これから考えないといけないんじゃないかと。
 それはどういうことかというと,我々日本人あるいは日本語話者というふうに思っているわけですけれども,先ほどの鄭さんの話にもありましたように,そういう自分に気がついてニホンゴ人になっていくという,そういうことをこれから日本人みんながやっていくと,結構外国人にも暮らしやすい状況ができるんじゃないかなというふうに思います。

鄭:私は,過激に聞こえるかもしれませんけれども,日本語の中の外国語というのは英語だけではないということを強く認識していく社会になっていただきたいんです。英語はとても大事です。でも,英語に失敗している若者はたくさんいるはず。私もそうでした。でも日本語に出会って人生が変わったということが,ほかの,私たちの周りに,アジアからたくさん人が来ている,そういう言葉にももっと目を向け,若い時期,中学・高校から,日本人のそれぞれにそういう意識を持っていく社会になっていけば,どちらかというと今のような異文化コミュニケーションに対するたくさんの発見とか促しとか気付きが生まれるのではないかと,そういうふうに考えております。

ダイアン吉日:日本に来ていろいろな国の人来てる。たくさんの人友達になりました。英語できない人,日本語できない人とか,韓国人の友達いるとか。世界中で一人で旅していて英語通じないところにいっぱい行ったけど,心からコミュニケーションとったらだれでも友達になれることに気付きました。それが一番大事なこと。いい思い出いっぱいある。全然英語通じないところに2週間ぐらい行ってても,最高の思い出いっぱい残ってる。
 だから,自分に何かストレスたまる,オリジナリティーなくなると。私日本来たとき,頑張り過ぎ,日本人になりたいみたいな気持ちになって,それで自分の性格がなくなった。友達も気付いてました。「ダイアン,最近暗くなった」。だから,日本に住んでるけど,日本の文化わかってほしいけど,自分の性格なくならないように気を付けてと言われたことがある。
 逆にいいことは,自分の国のことを教えてもいいけど,お互いに勉強できること。だから,本当に心からコミュニケーションとることは言葉より強いと思います。

久保田:私は最後に同情と共感との違いを知ってほしいと思います。
 同情というのは相手と同じだと考えるところからきています。例えば,フィリピンの人が日本に来ているけれども,自分がフィリピンに行って英語を学んでいたら孤独で寂しいと感じるだろうと考えたとします。そういう自分をイメージして,ここにいるフィリピンの人に,ああかわいそうだから日本語教えてあげよう,かわいそうだから手伝ってあげよう,これが同情というものだと思います。自分の気持ちで相手を見てしまうんですね。
 だけども共感というのは,相手と自分は違うという前提に立っていて,そこで相手の立場に立って考える,そして相手の気持ちというのを理解しようとすることだと思います。だから,同情のように自分の気持ちで動くのではなくて相手の気持ちで動くというふうになれば,ああそうか,フィリピンの人が国際結婚で来ているんだ,エンターテイナーで来ているんだ,看護師じゃないんだというふうに,相手の立場で物を見て考え,そこでの気持ちを共有でして行動したら何か互いに学び合うことができるというふうに思っています。

水谷:はい,ありがとうございました。
 今,日本の人口自体は大変大きく変化している。50年先には1億,もしかするとそれを切るかもしれない。100年たてば8,000万ぐらいになるかもしれない。一方,外国から来る人の数はこの10年間に96万ぐらい増えているわけですね。もっともっと増えていくだろうと思います。そうすると,日本の人口の1割,2割という割合になってくるのは50年以内に起こる可能性がある。そうなってくれば,奈良時代の非常に国際的であった日本の状態を,もう一度我々はまじめに考えなきゃならない時代になるだろうと思うんですね。
 今日は本当に時間が短くて残念でしたけど,今日出てきたお話が何かそれぞれ皆さん方のそれぞれが考えていただけるヒントのキーワードがあったり発見できればよかったと思います。
 今日は大変いいお話ありがとうございました。

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