パネルディスカッション

パネルディスカッション
  「外国人年少者への支援について考える−子をもつ親への日本語学習支援−」
 
進行役 山田 泉(法政大学教授)
パネリスト 秋山 博介(実践女子大学助教授)
伊東 祐郎(東京外国語大学教授)
高木 光太郎(東京学芸大学助教授)
中津 美和(財団法人とよなか国際交流協会)

司会(中野):時間になりましたので,これからパネルディスカッション「外国人年少者への支援について考える」を始めます。既にこちらには,パネリストの方々にお並びいただいておりますので,私の方から御紹介させていただきます。
 まず,皆さんから向かって右手,東京学芸大学国際教育センター助教授の高木光太郎先生です。高木先生は,文部科学省の学校教育におけるJSLカリキュラムの開発にかかわる協力者会議の委員でもいらっしゃいますが,子供の発達という視点から親への支援の在り方についてお話しいただけるものと思います。
 次,実践女子大学生活科学部助教授の秋山博介先生です。秋山先生は,カウンセラーの養成にも携わっていらっしゃいますが,今日は子をもつ親に対する支援者の在り方について,福祉の視点からお話しいただけると思います。
 そのお隣,東京外国語大学留学生日本語教育センター教授の伊東祐郎先生です。伊東先生は,大学における留学生教育だけでなく,地域における日本語教育についても理解の深い研究者のお一人です。本日は座長でもあるんですけれども,文化庁の親子参加型日本語教室の開設事業について御紹介いただくとともに,親に対する支援についても御意見いただければと思っております。
 そのお隣,財団法人とよなか国際交流協会事業課の中津美和さんです。中津さんは,実践者として日々外国人年少者を含む日本語の不自由な子供の支援に当たっていらっしゃいます。日本語学習支援における母語教育の意義と外国人年少者の親に対する支援の在り方について御意見いただけるものと思います。
 最後になりました。今回のパネルディスカッションの進行役をお願いいたしました法政大学キャリアデザイン学部教授の山田泉先生です。長く日本に暮らす日本語に不自由な子供のための支援活動を実践されるとともに,活発な研究活動も行っていらっしゃいます。それでは,山田先生に進行をお願いしたいと思います。

山田:山田です。よろしくお願いします。この文化庁の大会で司会というと水谷先生が長くされていましたけれども,水谷先生はパネリストの人たちを「先生」と呼ばないで「さん」というふうにいつも呼ぶ,それから始まったと思いますけれども。私もちょっとまねして「さん」ということで皆さんをお呼びしたいと思います。よろしくお願いします。
 今,ピーターセンさんとそれから高君,「君」と言ってしまいましたけどね。高君の二人の方々からそれぞれ自分の日本語との関係というようなことお話しいただいて,すばらしい日本語の話し手でもあるし,あるいはその言葉の裏にある日本の社会とか文化とかそういうものを理解して,自分の文化と一緒に融合させているすばらしい方々だというふうに思って,もうこれで,今日は終わりということでもいいと思うんですけれども,問題は,高君の話でいいますと,5年前に日本に来てすぐの,その当時の,自分は日本でやってやるぞという気持ちをなえさせることなく持続して,それから言葉も一つ一つ身につけていって,かつ,母語も福建語が母語だと思いますけれども,それ以外に北京語も,それから英語もしっかりと育てながらこの日本社会でやっていけた。そして今は難関と言われる大学に入って,4カ月間勉強してきたと。先ほどちょっと伺いましたけれども,私,大学の教員なものですから,すぐ心配になってしまうんですけれども,単位大丈夫と聞いたら,いやそれは問題ありませんと。まだ,成績は出ていないけれども,大丈夫です,と自信を持ってそう言えるようなことが,どうしたら可能なんだろうか。私もかなり長く外国から来ている子供たちと付き合って,その子たちと泣き笑いをしながらいろいろなことを共に経験してきた,今も経験していますけれども,そんな中で最初の目の輝きは,どうしてこんなにくすんだものになってしまったんだろうか,あるいは,中には社会的にあまり好ましくない行動に走ってしまう子供たちもいると。
 日本語の習得もそうですけれども,自分というものをひょっとしたら見失ってしまうというようなこともあるんではないだろうか。そういうふうにならないで,高君のように育っていくために何が必要なのか。昨年度のこの文化庁の大会では,子供に対して直接どういうことをしたらいいのかというようなことが議論の話題になったというふうに伺っていますけれども,今回は,その子供たちをサポートする側,取り巻く側,環境をどういうふうにつくり上げていったらそのことが可能かというようなテーマで,その中には親に対して何か日本社会ができることはないか,あるいは今やってしまっていることで,それはまずいというようなことがあるんではないかということも含めて,4人の方に御議論いただこうと思います。
 まず,お二人,伊東さんと中津さんには,それぞれ現場でのお話,実践の報告というようなことを中心に,かかわっている思いというようなものをお話しいただこうと思います。それに対して後半ですけれども,秋山さんと高木さんのお二人には,それを受けて専門家の立場からコメントをいただくというようなことでお願いしています。ただ,時間的に全体の時間が1時間50分ということで,5分ほど遅く始まりましたので,5分ほど最後も延びるかもしれませんけれども,そういう短い時間の中でのやりとりなので,最初のその発表を10分あるいは15分というような短い時間に限らせてもらいました。十分にその思いのたけを語っていただくことができないかもしれませんけれども,最初はそれでお願いして,その後,約50分やりとり,議論というようなことをさせていただきたいと思います。本来ならば,会場にいらっしゃっている皆さんには,この問題に対して自らが御発言,ぜひしたいんだということもあるかと思いますけれども,その短い時間の中でそういう時間をとることはできないので,御了承いただいて,後でパネリストの人たち,あるいはコメンテーターの人たちに対し直接,質問なり,意見なりをお願いできればありがたいと思います。
 時間のことを最初に謝らなければいけません。御協力いただければありがたいと思います。
 それでは早速最初の御発題をいただきたいと思います。伊東さんの方から10分という短い時間で申しわけないんですけれども,よろしくお願いします。

伊東:伊東です。では,なるべく手短にわかりやすくお話ししようと思います。
 子をもつ親への日本語学習支援ということなんですが,私の話は,文化庁が平成14年度から行っております地域日本語教育活動の充実施策の一つである学校の余裕教室等を活用した親子参加型の日本語教室の事業について,お話をさせていただきたいと思います。なぜ私がということなんですが,一応この授業の企画・評価会議の座長を務めました関係上,過去3年間の報告書に目を通したり,あるいは現場に足を運んだことがある関係上から,代表という形で紹介させていただきたいと思います。その中から見えてきたことを今日はまとめる形でお話ししようと思います。
 地域に居住する外国人の増加に伴って,文化庁では地域に居住する外国人に対する日本語教育の充実を図って,外国人と日本人との相互理解,そして協調に資することが極めて重要であるというような認識から,地域において学校の余裕教室等を活用して外国人の親と子が共に学ぶ機会を提供するというのが,この親子参加型日本語教室の事業です。もう少しわかりやすく申しますと,親子参加型日本語教室を開設することによって,外国人の親の日本語学習を推進するとともに,子供たちが幼いころから日本語に親しむことができるよう,外国人の親と子が共に学ぶことのできる学習機会を提供するというのが,この事業の第1目的というふうになっております。
 平成14年度から始まっておりますけれども,今年でちょうど4年目です。複数回,委嘱期間を受けているところもありますが,大体延べにして63地域が委嘱を受けております。地域には日本語教育が数多く開設されていますけれども,なぜ親子なのか,またなぜ参加型なのかという点からこれまでの委嘱先からの報告書,そして私自身の現地訪問を通して得た情報を簡単にまとめたいというふうに思います。
 まず,日本に居住する外国人ということで見渡してみますと,まず私は三つの問題点があるのではないかというふうに考えております。まず,子供の日本語力,そして子供の学校適応,そして日本の生活への適応問題,そして大きくは学力不足の問題ということで,まず一つには子供に焦点を当てたいと思います。もう一つは,子供が一人で外国に来たわけではなくて,多くの子供たち,ほとんどの子供たちと言っていいと思いますが,親と共に日本に来ております。ということを考えますと,やはり親の取り巻く環境,とりわけ日本語力,そして社会参加がどれだけできているかという部分からの問題をちょっと見てみたいと思います。
 そして,やはり子供たちの成長する場がまずは家庭であるということであるならば,果たして親子間のコミュニケーションはどれだけ進んでいるだろうか。私たち日本で生まれ育った者にとって,やはり家庭というのは中心になるところではありますけれども,果たして日本に居住する外国人親子,家族というのはどういう状況に置かれているかというところの問題もちょっと見てみたいというふうに思います。
 まず,第1の問題,子供の日本語力,適応の問題,学力の問題ですけれども,皆さんご存じのように,1,2年もすれば流暢な日本語を話すようになりますけれども,言語習得,そして学校でいわゆる学習言語を習得するには5,6年から7年かかるというふうに言われております。こういった非常に難しい壁があるということを考えますと,その子供たちにとっては,学校に通うことが非常に大きな負担になっているのではないか。そしてそれが不就学児童生徒の増加になっているのではないかということが,一つ注目されるところではないかと思います。
 平成17年度,文部科学省は不就学外国人児童生徒の支援事業を開始して,その実態調査に乗り出しました。この段階で私たちがなぜ子供たちが学校に来なくなったかということを明確にすることはできないんですが,この2年間の事業の結果から見えてくるものを分析することによって,子供たちの抱える問題,もう少し浮き彫りにできるのではないかというふうに考えます。
 次,親の問題なんですが,児童生徒の親たちというのは,どちらかというと日々の生活に追われ,日本語学習も十分にできない状況にあるようです。たとえ仕事をしていても仕事と家庭の往復だけということで,日本社会への適応だとか日本での生活など,様々な悩みを抱えていながらも,解決しないまま生活を送っているという状況が報告されております。特に乳幼児を持つ親が落ち着いて日本語を学ぶことができない。それと同時に,子育てをどうしたらいいかわからないというようなこと。また非常に接触する人たちが限られているということで,家にこもりがちになって,地域社会から情報もないまま隔離されたような状況が少なからずあるということ。そして子供以外に相談する相手がいないというような状況も報告されています。
 このような子供と親のそれぞれの問題という点で,家庭の状況を考えてみますと,やはり親子間のコミュニケーションの不足が大きく指摘できるのではないかというふうに思います。それは,親は日本語を学ぶ機会が少ない。しかし,子供はどんどん学校でいわゆる生活言語としての日本語を伸ばしていくということで,親子の共通の話題も希薄になりがちな状況にある。そして,コミュニケーションがますます取れない状況になってきているということがかいま見られます。
 このような子供への支援を通して,親も様々な問題を抱えているということが,今回の親子のいわゆる参加型日本語教室からもわかってきました。したがって,日本語の習得の進まない親との間のコミュニケーションに問題が生じている,ではどうしたらいいかということも今後大きな問題になってくるのではないかと思います。
 この3年間の報告書などを見てみますと,親子参加型日本語教室をやってどんな効果だとか成果があったかということなんですが,まず,学習面から報告書の内容を取り出してみたいと思います。当然のことながら,日本語に接触することが多くなるわけで,子供たちの日本語学習や日本語習得が促進されたということは報告されています。そして親と子が学ぶことによって,親が一生懸命に勉強している姿を子供が見て,そして子供たちも何らかの刺激を受ける,影響を受けて励みや学習態度が養われてきたということで,そこには一つの子供たちが親を見て一つ学ぶという環境もあるようです。同時に,親が子に,子が親に教え合う機会が生まれて,一緒に学び,また楽しめる時間,親子のいわゆる共有のコミュニケーションの場が確保されたということで,効果はあるということが報告されています。
 また,いわゆる登校拒否だとか,登園拒否の解決策の一助になったというようなこともあって,やはり親子が一緒に参加することで,そのようなことも解決されていくのではないかということでその成果を上げている団体もありました。そして,親や子供による通訳,翻訳などによって母語による学習の機会も提供されているというようなこともあります。長く日本にいる同じ国から来た人たちのボランティア活動によって,バイリンガルボランティアによる学習支援が可能になっているということもあり,先ほど母語の活用というのもありましたけれども,母語を通して教科学習に結び付けるということも出ております。
 そして,親にとっては親子参加型日本語教室に通うことによって,子供が学校でどんな勉強をしているかということで,学習内容や生活の様子がわかるということも挙げられています。そして,親が複数集まることによって,子供の進路や進学にかかわる情報提供の場にもなっていることも利点として挙げられています。
 生活面の方からちょっとどんな効果があったかというのを見てみますと,日本人ボランティアの交流によって,日本の社会でのルールや生活マナーなどがわかるようになったということが挙げられています。一方,日本人ボランティアも外国人居住者の母文化や生活習慣,食習慣なども理解する機会にもなっているということですね。そのような交流を通して,保育相談が可能になった。親子同時参加により,一人だけだとなかなか日本語教室には行かないけれども,お互いが励まし合っているという状況を考えますと,参加率がよくなって結果的には日本語の習得が促進されたということが挙げられています。
 そして,子育てについて。地域住民を初めとして,参加しているほかの親と一緒に考えることができるようになった。これは情報交換ができることが日本語習得にも一役買っているということで,日本語を学びに来るということではありますけれども,やはり何を通して学ぶかということになりますと,子育てとか情報交換,そういったところから日本語習得ということにもつながっているようです。そして,外国人の親同士のつながり,外国人の親と日本人の親とのつながりができて,交流の輪が広がった,地域社会でも交流が拡大してきた,結果的に地域への帰属意識が高まったということも挙げられています。
 最後に,このような文化庁の委嘱を受けて,どのような効果があったかということなんですが,ある意味ではこれまでほとんど関係のなかった人や団体,組織との意見交換や交流,連携が促進されて,ネットワークが非常に充実してきたということが挙げられています。具体的には教室を確保するために交渉をするとか,地域の外国人居住者の実情を理解するために,いろいろな人との関係性が出てきたということが挙げられています。
 日本人で就学前の児童を抱える親にとっても,ボランティア参加するのは非常に難しいんですけれども,親子参加型日本語教室というのは,学習者とボランティアの両者を受け入れることができるということで,日本人の親も外国人の親も双方が子供を同伴することができて,安心して学習することも可能であるということも挙げられていて,このことが社会参加を促進する役割を大きく狙っているということを私も感じました。
 簡単にまとめますけれども,一方で課題も幾つか出ています。その課題というのは,やはり親子参加型教室を開いても,その広報活動が十分ではないがために,せっかくの機会がわからないまま居住している外国人の人たちがまだまだ多いということ。そして国際教室のない学校がまだ地方に行くとたくさんありますけれども,その辺の連携をどうするか,学校との連携,教育委員会との連携をどうしていったらいいかということ。そして,多くのボランティアの人たちがかかわることになるのではありますけれども,多くは日本語を指導したいというボランティアではありますけれども,そこから派生して様々な段階でのボランティアが必要になってくるということで,ボランティア不足を指摘しているところも数多く出ております。また,生活言語から学習言語,教科学習への橋渡しをどうしていくかということも親子参加型教室でも大きな悩みとなっています。そして,バイリンガル教育,第2言語と母語をどのように保持していくか。そして他地域との連携。そして親子共通の母文化,母語等の保持並びに育成をどうしていったらいいかということも,現場の人たちの課題として挙げられています。
 最後ではありますが,今後のこの教室を維持していくためには,やっぱり予算が必要だと。その予算は,文化庁は一体今後はどうしてくれるんだろうね,ということで不安を最後に訴えている報告書というのも数多くありました。
 以上です。

山田:ありがとうございます。文化庁,考えてくれるんではないかなと思います。
 続きまして,中津さんお願いします。中津さん,5分プラスして15分ということで,ちょっとですがゆっくり話していただけるかなと思います。よろしくお願いします。

中津:財団法人とよなか国際交流協会からまいりました中津と申します。貴重なお時間,チャンスをいただきました。非力ではありますけれども,子供の声ができる限り正確に皆さんに届くといいなと思っております。
 このメンバーを見て,甚だ軽すぎるお茶うけではありますけれども,ほかの先生方に後ほどフォローしていただくということで,お手元の資料の36ページ,37ページのところを御覧になっていただきながら,だんだん早い関西弁になってきますが,御容赦いただけたらと思います。よろしくお願いいたします。
 多文化共生を推進する人材育成事業「子どもメイト」ということで,先ほど文科省の先生からもお話がありました。子供の権利条約の理念を地域で具体化させるという目的で,居場所としての視点をベースに今のところ毎週(火)は教科,(木)は母語学習という活動を行っております。
 経過につきましては,ここにいらっしゃる皆様方と全く同じではないかと思います。緊急対応として,日本語をやり,教科をやり,そして進路になったら慌てて公立高校ってどうやって入ったっけ,という話をしながら,そのようなことをかれこれ10年ほど前からやってまいりました。
 子供が大きくなっていきますと,当然ながら進路の問題が上がってきて,豊中の地域におきましては先生方が中心になりながら,1997年当時から進路ガイダンスが開かれ,2003年度からは小学校5,6年の子もちょっと早めに情報入れておこうかということで,今や年に2回,進路・生活の相談会を開いています。現在は大阪府の教育委員会が予算措置なさいまして,渡日児童生徒学校生活サポート事業の豊能地区ブロックという枠組の中で動いておりますが,当初から豊能地区に,豊中においてはこのような進路問題について対応はしてきました。
 こういった渡日の子供の編入という大きな課題が起きますと,やはり当然ながら地域で何とか相談会が始まっていくものです。当協会及び教育委員会,そして豊中市の担当課,また関西では各学校に一人,在日外国人教育を推進する係の方がいらっしゃるんですが,その方々,四つの機関で「四者懇」という懇談会を立ち上げました。
 そこでの議論を踏まえて,98年には教育委員会が渡日児童生徒相談室を設置,今,「四者懇」は「多文化教育推進懇談会」と名称変更し,かれこれ7,8年になるんでしょうか。このような懇談会をいまだに続けておるような状況です。
 子供が高校に入りました。やれやれ大きくなったら課題はなくなったということはないというのは,やはりもう皆さん御存じのとおりで,課題がだんだん見えにくくなっていっている。それは例えば,もう「わからない」ということ自信のないことを聞きたくなくなってしまう青年の心理状態があったり,あるいは母語,母文化の喪失によるアイデンティティの揺れの問題もあります。そのようなことで1999年ごろから世界事情と称します母語保持もどきに着手いたしました。
 2002年度,これは大きな節目の年でした。ある高校生が,「やばいよ,おかんと話通じひん」,おかんはお母さんですね。ということで,本気の母語学習,週に1回は母語をやろうということになりました。しかし,あなたたちの勉強内容なんだからちょっと一緒に考えようや,あんたらこそ会議に出なさいな,というようなことで,ここから高校生の会議参加が始まりました。
 しかしながら,この支援がかれこれ10年になっているわけなんですけれども,このような支援活動がやはり恒常化していることの異常さ,より頑張るべきは本来だれだろうかとの課題意識を持っています。マイノリティの子供に頑張らせ続ける社会って何やねん。ちょっとそっちの方がかっこ悪いんちゃうんというようなことで,今のところも,そしてかねてからの私どもの目指すところ,最大の目標は,発展的解散です。
 一方,環境です。先ほどの高君の話を全くうらやましく聞きました。豊中市というのは外国人の少数点在地域です。外国籍の人々の割合は今全国平均で1.5%程度になるんでしょうか。うちの活動に参加している子供全員が学校にたった一人の在籍です。ずっとその状況です。「外国の子がおれ以外におった」と,うちのセンターに来て初めてびっくりした子もいます。しかも当協会は学校ではありません。週に1回,自分の意思,来たかったらおいで,来なくても別に構わないところです。チャイムもなりません。先生はいません。先生と呼んだ日には,中津さんと呼んでくれというふうに諭される始末です。子供の気持ち一つ,気力次第で週に1回来るか来ないか,そういうぎりぎりの綱渡り状態でいるわけですから,当然私たちもどのようにしたら彼らにとっての求心力を持ち得るかということで,この間,活動をしてきたわけですが,その工夫といいますのが,図にありますような縦横のつながり,小学生,中学生,高校生,大学生のつながりを持たせてやること,あるいは,学校の先生方との会議において,少しでも学校をよくしていくという努力。それから先ほどの進路課題において,より広い豊能,隣接地域の人たちとの交流の場。私たちは近隣に国際交流協会のお友達がたくさんいます。そこではこういった渡日の子供のテーマというのを日常化,大事な問題としてずっと考え続けるために,別事業の枠組で恒常的に事業のワンテーマに入れていこうというようなことで話し合いを続けております。
 私どもが渡日の子供,保護者と出会う,一番大きいタイミングはやはり母語学習のかかわりの中でです。私たちは母語学習を始めるに当たって子供たち及び保護者に対して,説明会を開きます。そのときに伝えるメッセージは以下のようなことです。
 まず,子供たちに対して,「あなたの人生の主役はあなたである。あなたの気持ち,意思からすべてが始まる。私たちはあなたたちが日本語や日本文化の習得を含め,これまで既に努力をしてきていることで,十分にすばらしいと評価しているけれども,さらに母語も再学習しようとすることで,もっとすごいと尊敬する。今や日本での生活が中心であり,母語でわからないこと,知らないことがあるのは当たり前。でもそれはあなたの能力のせいではない。昔も今も別の勉強をする必要があった上に,十分な環境がなかったため。私たち子供メイトの母語学習の目標は,「北京に住んでいる18歳になること」ではない。自分とは違う,ほかのだれかになる必要はない。母語学習は難しい。へこみそうになる。でも,時間はたくさんある。その時間をどう使うかは自分次第。だれも過去は変えられないけれども,未来は変えられる。ここは自分の歴史を知り,その意味を生かしながらさらに高めようと努力するところ。それぞれ違う立場にある仲間が,お互いに励まし合うところ。メイトは塾ではない。自分の成功だけ考えたり,何々人同士だけが盛り上がるではなくて,いろいろな人生に出会い,想像力をつけ,考える力をつけるところ。母語学習の努力を通じて,どんな人間になりたいか。」,これを子供に問います。
 一方,教える側,これは元渡日の子供や,留学生も含んでいますが,教える側スタッフに伝えるメッセージです。「承知のとおり,あなたと子供たちの人生は違う。でも似通う経験,共感できる何かがあるはず。あなたは既に親,子供の両方の立場が見えてきているはず。一方,あなたもロールモデルとして,子供たちから見られ学ばれている。あなたたちの一言や視線が,子供に与える影響は小さくない。子供は説教から学ぶのではなく,行動から学ぶ。今のあなたの実力は苦労の結果であることを子供たちに知らせながら,あなた自身大人として,子供以上にさらに努力をしてほしい。」,これが教える側,元渡日の子供に伝えるメッセージ。
 最後に,親にはこのようなことを言います。「既に,何度も個別に確認しているけれども,親や祖父母の人生を丁寧に子供たちに伝えてください。どうして日本にいるのか。どのように働き,どんな苦労をして,どんな価値観を持って子供を育ててきたのか,具体的に子供たちに教えてください。それと同時に,子供たちの苦労をもより深く知る努力をしてください。あなたの人生と子供の人生とは違います。選んだ人生,選べた人生と,まだ選んでいない人生。親の希望を押しつけたり,過度に期待するのではなく,親は子供の,子供は親の人生を知る努力をしてほしい。子どもメイトの事業方針・目的は配布した資料のとおりです。子供の最善の利益を保障するために学校とも連絡をとり合いますけれども,私たちができるのは,お父さん,お母さんの手伝いに過ぎません。もしもできることがあったら,私たちに声をかけてください。」,このようなことを話します。
 メイトに初めてやってきたお父さん,お母さんは希望することとして,「基本の日常会話」「中国語の文法,発音」というふうに,全く「語学教室」と変わりません。また,「息子が流暢な中国語を話し,私と交流できることを希望します。」と,文法的に完璧ではない中国語で書かれたお母さんもいらっしゃいます。一方,子供も「中国語は流暢に話したい。ヒアリングの向上を願いたい。」これは13歳の中1の男子が書いてきました。ところが,2年目に入ったお母さんだけが,「ここは中国語を勉強するだけの場所ではないですよね」とメモに書いてくれました。これを4月の時点で通訳の方をつけてやりました。さて,その後の3カ月の間に幾つか拾った声です。
 「忘れた中国語の漢字や読みを大分思い出した」と言っていた中学校1年生の女の子が6月のある日電話をかけてきました。「中津さん,今度いとこを連れていってもいいですか」。びっくりしました。当然ながら,彼女のおばちゃんも一緒についてきました。親を動かす。親が信用しているのはだれか,というようなことをちょっと学びました。ずっと哥哥(gege)先輩のことを「お兄ちゃん」と言ったり,姐姐(jiejie)お姉ちゃんと言ったり,結構中国語を日常会話に入れるようにしています。「そのお兄ちゃんがとってもおもしろい。隠れてわあっと言って脅かすねん」。「母語学習を続ける?」と聞くと,「多分絶対続ける」。しかし,この女の子は以前は,「どうする?来年頑張れるかな」と言ったときに「お母さんが喜ぶから続けます」と言った子なんですね。やっと自分の声が出てきました。また,日本語が母語にほぼなりつつある子なんですけれども,「目標?,ん,できた。すごい充実している」ということで,彼女もだれも何も言わないのに自分で中国語検定とか受けだすようになりました。
 一人の男の子。その子の家にはトイレにピンイン(中国語の50音図のようなもの)の表を張っているそうです。一方,お母さんは日本語をあまり読めないんですけれども,某新聞社の小学生新聞を定期購読しているそうです。「これとってんねん。で,夏休み1カ月中国に行くねん」「あ,そうなん,帰るん」と,私がうかつにも「帰る」と言ったところ,彼は「帰るじゃない。行く」。私はこのときに,1歳のときに日本で生まれた彼が,自分なりのアイデンティティをつくろう,今つくっている途中なんだな,ということでこの言い直されたのが非常にうれしかったです。
 ボランティアの方にも若干変化がありました。「MとSと交流を深めました」とありました。以前でしたら「集中力がない,休憩時間が長い」ということでした。しかし,子供たちが母語に向かう前に何か吐き出したいものがある。これに気が付いてくれました。あるいは,「反り舌音があまりうまくない。舌が回らない」という部分の評価が,「日本生まれなのにすごい」,こういう評価に変わりました。
 保護者の中には,メイトの教室に30分,じっと入っているお父さんがいました。いつも「とても楽しかったです」と言って帰ります。ある日,子供から抗議が入りました。「中津さん,お父さん何とかして。ここで本読む」と言うんですね。要するに自分が母語学習をやっているときに,お父さんは同じ教室でずっと本を読んでいるというんですね。何やっているのかなと思ったら,日本語の文庫本を読んでいました。もちろん,ほかの子の学習をのぞきに行ったり,茶々入れたり,そんなことはしていないんです。ただ,周りで「マア,マア,マア,マア」とか発音練習やっているのを聞きながら,日本語の本を読んでました。
 あるいは,広東省出身のお母さん。私どもの参加者の中には,中国の東北部の子とそれから南の方の人が多いんですけれども,「北方の人はあんまり食べたことないでしょう」と言って広東省特産のお菓子を持ってきてくれました。しかも「私,お茶買ってきます」と,8:30からどたばたとペットボトルのお茶を買って来られました。
 そんなようなお母さんたち,お父さんたちの動きを見る中で,いろいろなことを感じてきました。7月23日,ちょうど先々週なんですけれども,駄目押しの保護者会を持ちました。来日6年から22年のお父さん,お母さんがやってきました。仕事を休んで来た人もいました。今度は,私が下手な中国語で先ほどのメッセージを話しました。だれしもこういう恥ずかしながら努力をしつつ,前に進むものだということが,何らかの安心感を与えるのではないか。完全さよりもそういった熱心さの方がひょっとすると今は必要かもしれないということで試みました。3日後,あるお母さんがもう一度私たちのセンターにやってきました。「あのな,中津さん。私日本語勉強したいねん」と言ってくれました。「私,日本語の細かいニュアンスがよう言わへんから,ぱんぱんって言ってしまう。それを仕事の同僚からきついって言われた。せやからもう一回日本語勉強したいねんけど,いけるかな」という相談でした。
 あるいは,そのお母さんは離婚されていて子供二人で過ごしているんですけれども,「子供にな,再婚せえへんのって,昨日寝しなに言われてん。でもな,私,今,こんなに子供が一生懸命,国語(母語)やってくれてな,私もこんだけ何とか友達もできてな,私,今夢いっぱいやねん」とかいうような話をしてくれました。
 チョコレートをたくさんお土産に抱えて持ってきたその台湾のお母さんの話で非常に感じましたのは,母語をやればやるほど,私たち日本語社会が母文化にアプローチ,ラブコールを送れば送るほど,日本社会に対して安心感を持ち,むしろ近付いてきてくれる。やはり人を動かすものは教材とかではなく,動機なんだろうなというふうに思っております。
 時間を大幅に超過しました。申しわけございません。以上です。

山田:ありがとうございます。(拍手)
 何か,大阪弁がいつもより多かったような気もしますけれども,それだけ生き生きと乗って話していただいてありがとうございます。
 この後,秋山さんと高木さんからコメントいただきますが,最初に秋山さんの方からお願いしたいんですが,二人の発表者の方についてコメントなんですが,特にカウンセリングということで中津さんでしょうか,中津さんのお話に重点的にコメントをいただければと思います。よろしくお願いします。

秋山:秋山です。もともと日本語が下手なんですけれども,なぜかこういう場によく呼ばれます。今一番私の興味があるのは「コーディネーターをどう養成するか」ということです。この問題は,この何年間か地域の中で問題になっているのですが,その中で考えなければいけない視点が一つあると思います。
 例えばコーディネータという言葉一つとっても,その中で出てくる「支援」という言葉,これがすごく自分の中で引っかかってしまいます。支援は社会の中にいろいろありますが,例えば福祉にしても,支援という言葉がたくさん出てきます。では,実際に使われていることはどういうことかというと,上の立場から下を見ていくということなんですね。しかし,求められているのは,同じ目線のかかわりです。例えば,外国人にとってもともと国にいるときは多数派だった環境が変化することによって少数派になる,いわゆる日本に来ることによって少数派になっているわけですね。少数派になっている人たちのその価値観とか,いろいろな自分の思いというものが,日本人になかなか伝えられない。例えば福祉ですと,以前は措置(行政処分)という形でした。つまりはそこを受けることによって全く自分の個性とか,自分自身の感情を出すことができない。いわゆる制度の中で生きていくことになると思うんですね。ということは,その人は自分のそういう個性やニーズとかアイデンティティというものを社会に出さないまま,一方的に援助を受けていくという形になります。
 援助の中でとても重要になってくるのは,いわゆる「協働」という言葉,共につくり上げるということなんですね。それからあともう一つちょっと気になる言葉というのは,参加という言葉なんですね。これは戦後GHQがコミュニティ・オーガニゼーション(地域組織化活動)という戦略をやりました。いわゆる占領政策です。それによって,地域の住民を計画の中でまとめていこうということで,地域の自治会とか地域会,そういう人たちを中心にして,その地域をまとめていくということを始めた。これを話してしまいますと,すごく時間かかってしまうので,このくらいにしておきます。
 今求められているのは,参加ではなくて,参画,つまり一緒にそれを組み立てていくということですね。例えば2000年から福祉の分野では,地域福祉計画という計画が実行されています。その中では参画が,少しずつではありますけれども根付き始めました。その中で,一般の住民の方も入れてよくやるのはKJ法,いわゆる川喜多二郎法,川喜多二郎先生がつくった柱立ての方法です。附せんに意見を書いて,柱をつくっていく。一緒にみんなで考えていくという方法が,少しずつですが進められてきています。まだ完璧とは言えませんけれども。
 例えばそういった形で,少数派の人たちにも意見を出してもらうということがまずは必要ですし,初めの段階では参加でいいと思うんですね。まずは,わからないけれども,入っていくと。次の段階ではだんだん理解していく段階になっていくので,今度は参画ですね。そういうふうな形になるものをつくっていかなければいけないのではないか。結局は,一人一人に役割を与えていって,その地域の中で動かしていくという考え方が重要だと思います。日本語支援もそこが重要で,外国人にとっても恐らく次の第2母国としての日本での役割,それから居場所というものになっていくのではないかなと思うんですね。
 それを考えていく場合に,我々が考えなければいけないのは,外国人の具現化したいことを手助けするかということですが,よく専門家のコーディネータの演習に私は行くんですが,一番問題になってくるのは,制度での役割というか,こういうことをやらなければいけないという理念は,きちんと答えられるんですが,いろいろな場所でそのやり方は違う。個性もありますし,価値観の相違があるわけですけれども,それをどういうふうに適応させていくのかという自分自身の理論がないわけなんですね。
 一つベースとして考えなければいけないのは,心,個人,家族,地域,伝統,文化が円状にそれぞれあるんですけれども,そのベクトル上にいろいろな問題を考えていかなければいけないんではないか。より専門家になると狭いところで行動しようとする。例えば精神的な問題を抱えている人だと,精神,いわゆる心の部分しか考えない。「心理学」という分野で考えていくと,最近はコミュニティー心理学もありますけれども,実際的には個人,ちょっと広がって家族というところでしか考えていないということなんですね。いわゆるその事象しか見ていないということが一番大きな問題になると思います。
 この理論と同様に地域の中での日本語支援ということ,支援という言葉が私はどうなのかと思うんですが,その地域の中に外国人の方が入られて,本人がどういうふうなことを目標達成したいのか,どういうことを自分が表現したいのか,自分がどういうふうなことを考えたいのかということをきちんと話し合いしなければいけない。しかし,コーディネータ側がお互いに傷付くことが怖くなってしまって,忙しいとか,それからコミュニケーションをとる時間がないというようなところで逃げてしまうことがよくあるわけなんですね。そこでその落としどころをどういうふうにしていくかがとても重要になってくると思うんです。再三,今コミュニケーションという話がありましたけれども,コミュニケーションというものは,ではいったい何なんでしょう。そこから議論が始まらなければいけないのではないかと思うんですね。よく新聞とかいろいろなところでコミュニケーションと言われるんですが,「コミュニケーションって何なんですか」という疑問があります。
 実際にどういう言葉,どういう人に対してはどういう言葉がけをして,どういうふうになるのか。私の一番その根本に考えることは,隣友,友愛というコンセプトであります。これはどういうことかというと,その人の心の中に入っていくということです。もっと言うと,隣る人という言葉を使うんですけれども,隣にいるような形でその心を支えるということなんですね。例えば「制度としての何とか」になってしまいますと,これができなくなります。一番大きなポイントとして,例えば震災が起こるとなかなかこの隣る人が行われないんですね。今回の新潟地震の部分でも,山古志村は農業とか牧畜,牧畜というか養牧ですね。そういうものが中心になっているわけですね。ここでは家畜がどうなっているか,それを見ていないとすごく不安になる人たちがたくさんいるわけですね。だけれども,実際には地震がまた来るかもしれませんから,危ないから安全なところに避難してくださいと言って,当事者の願いを聞き入れず,結局制度としてつくったマニュアルをそのまま相手に伝えるわけですね。それが例えば支援だという考え方です。
 しかし,自分の命はどうだったとしても,まずずっと飼ってきた,自分の命を支えてくれた動物をきちんともう一度確認したい。生きている動物がいるとしたら,それを何とかしたいという当事者の気持ちを支えるということが,実は隣る人なんですね。できれば家畜が見える位置でなるべく危険でないところに当事者を置いてあげるということが,支援だと僕は思っているんですね。
 その視点で切っていきますと,いろいろな援助がすべて同じようなベクトル上にあると考えています。ですから,私自身は日本語支援を3年前からいろいろなところでやらせていただいて,一つ理解したこと,勉強させていただいたことは,どの問題であったとしても人間がやることであるから同じである,ということです。  それからもう一つ。すみません,時間が多分オーバーしてしまうかもしれないですけれども,もう一つあるのは,社会の情勢を考えるということだと思うんですね。情勢によって人の考え方が変化する生活状況の中で,価値観,特に自分の価値観は,自分の育ってきた環境,それから歴史的な流れの中から培われると思います。例えば,今ですと地域共同体的な考え方から,消費資本社会に変わっています。消費資本社会というのは,自由気ままな振る舞いができる。それから,人は人,自分は自分。それから,即時欲求の追求。欲するがままにやれるという文化なわけですね。そういった中でどうやってその地域の中で個性を出すか。自由気ままにできるのですが,一方で個性は没個性化してくるわけですね。そういった中で,様々な個性を出そうとするわけですね。となると,例えば不登校とか,いろいろな非行とか,問題と思われていることで,社会の視点とは逆の立場で若者たちが主張する。没個性化するところの中での主張なんではないか。問題ということではない。ではその問題となる社会的な背景は何なのか。そこをやはりきちんととらえて考えないと,様々な問題というのは解決しないのではないかというのが,いろいろな話を聞いて私が考えたことです。
 すみません。ちょっと過ぎてしまいました。

山田:ありがとうございました。
 続きまして,高木さんの方からは,主に伊東さんについてお願いいたします。

高木:お話を伺っていて,なかなか伊東さんとは呼びにくいんですけれども,一応そういうルールなので,伊東さんというふうに呼ばせていただきます。
 漠然とまず,教室というのは一体何なんだろうかということなんです。教室という場所というんでしょうか。普通,教室といいますと,日本型の教室と言えばいいのか,もう少し近代学校的な教室なんでちょっと難しく言ってみるとそういうふうなのかもしれないんですけれども,要は先生がいて,教えることがかちっと決まっていて,子供もいて,先生が用意してくれる学ぶべきこと,これは世の中でよしとされていることなわけですけれども,学ぶべきことをかちっと習得すると。一応学校というのはそういう場所ですし,教室というのはその最前線みたいな感じと普通は考えるわけですね。だから日本語教室というような言い方をしても,そこには要するに学ぶべき日本語の形がきっちりあって,それを日本語ができない人に教える技術を持った先生がいて,あらかじめ用意されたプログラムというか,設定された目標に向かって,その生徒たちも技術を身に付ければいいという。教室というのは普通そういう感じで,例えば町のこの三軒茶屋の駅前のあたりにもきっとカルチャースクールがあると思いますけれども,そういうところで例えば書道を学ぼうというところだと,あまり独創的にやるとまずいと思いますので,ある型にはまってあるレベルの技術のところまで身につけていく。これは一つの教室のイメージだと思うんですね。
 今,お話を伺っていると,やっぱり何か全然違うことが起こっているんではないかという感じがするわけです,この親子の教室の中で。どういうことかといいますと,例えば親と子供が集まってくると,そもそも大体その教室というのは,均質な力を持った人を集めた方が学習効率が高いわけですから,大体均質な人を集めてやろうとするんだけれども,全然違う人を集めてきてしまうわけですよね。これ一見すると無駄なわけです。極めて効率悪い。だけれども,あえてそれをやってしまうと。それから,例えばそこでは普通はできるだけ目標を定めて,親と子も来てしまうんだからしようがないと。子供にはこの目標,親にはこの目標,これをやるところですよという形でやるのに,何だか知らないけれどもやっているうちに,例えば何か保育相談が始まってしまったりね。いろいろなことがそこで始まってしまうと。
 つまり,あえて普通に考えれば,あんまり教育的ではないことをやっているということになるわけですね。ここで言う教育というのは,今言ったような意味でということなんですけれども。つまり,その親と子供が集まってきて,またそれにかかわるいろいろなボランティアの人も,先ほどお話ありましたけれども,多様なボランティアが必要であると。普通,教室だったら教える技術がある先生がいればいいわけですけれども,なぜか多様な人が必要になってきてしまって,やればやるほどどんどん空間が雑多になってくるわけですね。そういう雑多な空間をつくるというのが,実は意外に大事というか,意外におもしろいというか,意外に楽しいというか。そこで起こってくることを起こってきたことを形にするわけであって,形をつくるために何か事を起こしているんではないというのは,非常にやっぱり特徴的なのかなと。言ってみればそういういろいろな人が集まってきて,そこでお互いいろいろな探り合いをするんだと思うんですね。ここはどういう場所なんだろうかとか。ここで何ができるんだろうか。私はここでどういうふうにいたらいいんだろうか。こんなことできないだろうか,あんなこともできないだろうか。そういうことの中で,いろいろなことが起こってきてしまって,そういう意味で例えば,こういう親子の教室というのが居場所として成立してくると。居場所の意味は違うわけですね。あなたはこういう立場の人だから,ここにいると気持ちいいでしょう,ほら,という形でね。
 例えばマクドナルドに行くと,マクドナルドでお客さん以外の立場ってなかなかとりにくいわけでありまして,大体お客さんの立場をとるわけですね。そうすると,もう役割は決まっていてその役割に徹しているから,逆に何かある種匿名性みたいなものが確保されたりとか,わがままがきいて,居心地がいいという空間もあるわけですけれども,今お話をずっと伺っていて,この親子の教室が成功している場合の良さというのは,自分がどういたらいいのか,あるいは自分がここで何をしたらいいのかということを探れる気持ちよさの中で自分の居場所が出てくるし,結果として自分の居場所を周りの人がいろいろかかわりながらつくっていくというような,結果としてつくり出した居場所であるがゆえに意味はあるし,また帰ってきたいと思うし,そこで何か別のことを始めていきたいと思うようなことが起こってくると。こういうことが,何かサポートされているんではないかなという印象を受けたわけですね。
 これが多分,日本語の学習にも非常にかかわってくることなんだと思います。つまり,言葉というのは,例えばネイティブスピーカーである日本人の中で,しかも日本語のことばかり考えている人たちがつくってくれた教科書にあるような日本語を学ぶことがいい日本語の学習だとするならば,それはやるしかないですけれども,私にとって日本語って何なんだろうみたいな。例えば僕はその意味ではすごく印象的だったのは,高君が話してくれた部活のキーパーとしての日本語,あれはまさに彼にとっての日本語であって,ゴールの前にいるからこそ,発する意味のある言葉ですよね。それを要するに部活に積極的に参入していくことによって,高君の場合は自分でつかみ取ることができたわけです。相当程度言語的スキルが必要なキーパーというポジションにつけてくれた部活の先生も偉いし,それを実力で勝ち取った高君も偉いわけですけれども,多分キーパーの才能があったんだと思いますけれども,でも,そこで発する言葉というのは,まさにキーパーをやってチームに貢献したいと思う高君が発する言葉を,そこで関係の中でつくり出している。
 恐らく,この親子の教室でも物事がうまくいっているときというのは,みんながそういういろいろな形で私の日本語を探せるような場所になっていると。だから意味があるし,本来的な意味での学びが起こるんではないかなと。だから今ちょっとお話がありましたけれども,いわゆる支援という言葉をネガティブな意味で考えた場合には,決して支援されて獲得された言葉ではなくて,関係の中で編み出されたというか探り出されていった言葉であるし,その言葉というのが自分自身をつくるし,それから同時に,こういう言葉を発する人間なんだよという形で,周りの中でも自分の本来的な意味での居場所がつくられてくるという構造が多分あるんだろうなと。
 ところが,やっぱりこういうのをつくるのはすごく大変なんだと思うんですね。つまり,もっとかちっと安定的にやろうとすればできてしまうのに,あえて不安定にしようという話ですからね。何一つ決まっていなくて,これから探り合いましょう,さあやってくださいみたいな場所をつくるとやっぱり非常に大変なわけでありまして,でもその不安定さを残しておかないと,おもしろいことは起こらない。やっていくうちにだんだんノウハウがたまってきてしまって,親にはこういうことを教えればいい,子供にはこういうことを教えればいいとなった瞬間に,別の物に変わってしまうわけですよね。ですので,マネジメントは難しいのかもしれないけれども,僕がそれほど経験豊かだとは思わないんですけれども,いろいろな場所で,いろいろな優れた外国人の大人,子供,様々な人たちの学びの現場ですごくうまくいっている場所というのは,多かれ少なかれ,そういう雑多な関係の中で居場所をつくっていくというような構造が生まれていたように思います。
 今日もそのことを思ったわけです。伊東さんのお話ということだったんで,簡単にしますけれども,中津さんのお話を伺っていても同じことを感じるわけですね。例えば,母語の学習をするときに,自分なりの自分にとっての母語の学習というのはやっぱり模索させているような気がするわけですね。だから中国の若者と同じになるというのとは違う意味の母語の獲得というところに方向づけていく。これをまさに模索させる空間にするわけですね。あるいは,教える側に対しても学習者との関係を模索させるような揺さぶりをかけるわけですね。私は日本語教えるスキルがあるから,これだけあなた,私はこれをやりますというふうに多分思ってくる人がいるのかもしれないけれども,どういうかかわりの中で学習者と学びをつくっていけばいいのか,ちゃんと見ながら考えてくださいというようなお話だったと思うんですけれども,そういうことが出てきたりとか,それから親には親で,まずは自分の人生を語ってくださいというお話がありました。親もやっぱり模索して生きてきた,いろいろなことを探りながら生きてきた人として,まず子供が親を一生懸命人とのかかわりの中で自分をつくってきた先輩として親を見る。親も自分をそういうふうに提示していく。ただし,親の人生と子供の人生は違うんだから,子供には自分のその模索というものをさせてくださいというようなお話だと思います。
 そういう場所として,そういうことをかなりかちっと伝えていく。そういうふうにすればおのずと空間というのは,教室という場所は,先ほど冒頭にお話ししたような古典的な意味での教室空間だとか,学びの空間とは質が違ったものになってくるだろうなと。だから,伊東さんのお話にあった親子の教室と,それから豊中の教室というのは,形式上は非常に違う形でやられているのかもしれないんですけれども,そこで起こってくる学びだとか,それからその成長の仕掛けというのは,やっぱりすごく深いところで通じているような気がしました。豊中の話で言えば,最後の方のお話もおもしろかったんですけれども,例えばお父さんがやってきて,勝手に母語教室なのに日本語を学習したりとか,こういうのも居場所を非常に自由につくれるという空気があるわけですね。これを小学校の教室で突然,親が教室に来て,私はこれからビジネスについて学びますとかって本読み始めたら,大体追い出されてしまいますよね。そういうことをしない形で学びが起こってくるというのは,すごいおもしろいと。そういう意味で,やっぱりすごく通じているし,これまで幾つか見させていただいてきた非常におもしろいことが起こっている。こういう多文化が交わるような学びの場で起こっていることとすごく共通していて,おもしろかったなというふうなことを思いました。
 以上です。

山田:ありがとうございます。
 前半のお二人の方のプレゼンテーション,そしてそれに対してお二人のコメントということが終わったんですが,今のお話をまとめるというのもちょっとしにくいので,4人の方に提案をしてもらいたいことがあります。
 それは,親たちに対するサポートについてなんですが,親は子供にこう育ってほしいとかいろいろあると思います。それは,自分の母国で育てる場合もそうだし,異文化の中で育てる場合でも当然あると思います。そういう思いに対して,子供も戸惑っている。そして,かつその親も,自分の母国であれば自分の思いを子供にぶつけられるんだけれども,文化が違うということで本当に自分が思ったようにしていいんだろうかと,いろいろな葛藤があると思いますね。そういう親に対してのアドバイスということで,二つの側面から皆さんの意見をいただければありがたいと思います。
 一つは,心の問題に対してです。これは親御さん自身が,異文化の中で自分のことに戸惑っている。仕事が忙しかったり,わからないことがいろいろあったりして戸惑っていると思います。その上子育てということで戸惑っている,その心に対してどういうことができるんだろうか。それも日本社会側とか,外国から来て同じような境遇で子育てをした先輩の人たちと一緒に考えるとかも含めて,親御さんの心をどういうふうにサポートできるか,そういうことについて,ご提案あったらお願いしたい。
 それからもう一つは,仕組みということで,そうは言ってみても何らかの形で環境を整えたり,あるいは制度を整えたりする,これも必要だと。隣人として「隣(とな)る心」で寄り添うというのも大事だし,それは最も基本的かもしれないけれども,そういうことができるような環境というのをつくっていくという意味での仕組みですね。この二つについて,提案というものを,どちらか一方でも構わないんですが,4人の方にお願いしたいと思います。いかがでしょうか。
 では秋山さん,お願いします。

秋山:国際交流協会や各地の協会などで演習をやっていて,受講者からよく出てくる問題で,援助側の意見として「相手が死にたいと言ったときどのように対応したら良いか」というものです。困っている人は「ふ」をたくさん出す。「私はもうストレス抱えて困っている」という方が支援されている側に結構多いんです。実際にそれはどういうことなのかということを考えなければいけない。例えば今言ったように,心の問題で親が子育てとかそういうことに戸惑って迷っているということがあると思うんですけれども,本来,それを話せる信頼感をつくるために,相手に対して信頼感を持っているという前提にないといけない。だから,根に心を支えるという支援が一つ大きくあると思うんですね。ではどういうことかというと,日本人であろうとそういう外国人であろうと「ふ」というものがあると思うんです。
 僕はよく平仮名で「ふ」って書くんですね。その中の一つが不安です。それから不信。それから不満,それからちょっと字が違いますけれども,負担。それから本当の不振ですね。自分自身が何か体も不調になってしまうという不振ですね。それから不適応。こういったようなものがたくさんあると思うんですけれども,その「ふ」をきちんと相手が受けとめてくれることは,それだけ信頼感がある。「ふ」を受けとめて相手に安心を返してあげることがすごく重要なんではないか。そうすることによって,その人の不安定さというのが徐々になくなってくると思うんですね。不信というか不安というものがないと,なかなかその組織が活性化しないという話があったと思うんですけれども,そこが本当に糸口で,きちんと話をそこから始めていくということが一つまず必要だと思うんですね。
 それから仕組みというか,僕は仕掛けとよく呼ぶんですけれども,その仕掛けをどうするかということだと思うんですが,実際に,例えばその人がどういう段階なのか,それをきちんと見極めていって,いろいろな関係性の中で技術を入れていく。ちょっとこれは抽象的でわかりづらいと思うんですけれども,一つ一つそういう関係性を見ていくということが必要になってくると思います。それから,自分自身の価値観というものを考えなければいけない。よくトレーニングでやっていたのは,自己覚知というものをやっていました。支援する側の自分自身の特性とか性格ということを,もう一度改めて自分自身が感じるということですね。それがないと相手の関係性は見ることができない。自分の目線でしか相手をとらえませんから,例えば先ほど先生がおっしゃったように結局その中で違うことをやっていると,出ていけということになるし,この人はやる気がないというようなことを言う。それは自分の価値観ですね。そこら辺もきちんと見極めながら考えていかないとなかなかうまくいかないのではないか。たまたま良いことが重なっていて,実際にうまくいく一つのきっかけになっている。たまたまそれが関係性の中で,恐らく発表された事例の中ではうまくいっているんではないかなと思うんですね。その関係性はその場所によって,地域によって,その年代によっていろいろなその集団によって違うと思うので,そこら辺を一度考えていく必要があるのではないかなと思います。

山田:ありがとうございます。
 では伊東さん。

伊東:秋山さんの話,すごくよくわかるんですね。ただ,私は,地域に住む外国人の人たちにとって,安心してその不平とか不満とか日本社会,あるいは周りのことに関して言いたい,でもそれを言える相手がいないというところが一番問題なので,私はその仕組みづくり等も大切だと思います。今重要なのは,それをどうつくっていくかということが重要かということと同時に,そういった人たちの信頼できる人たちをどのように見つけるような,あるいは見つけて,そういった人たちとの輪が広がるような場所を社会がつくっていくことの方がもっと重要かなというふうに思うんですね。やはり私もちょっと海外に家族と住んだときに,いろいろなやっぱり不安が出てきたときに,やはりそこにちょっとした,あそこへ行ったら何かいろいろと聞いてもらえるとか,あそこへ行ったら何か解決できるようなことが起こるというような,そういう何かのところの存在を知らしめるというものも重要かなというふうに思いました。
 そういう意味で,心の問題をどうしたらいいかといったときに,やはりもんもんとしている外国人居住者の人たちが,何らかの突破口を開いてそれを発信できる場というものをつくらなければいけない。その一つが親子参加型の教室であったのかなというふうに今思います。もちろん,その地域の国際交流協会だとかいろいろなところで行われている日本語教室は,最初は皆さん日本語を学びたいということで集まるということになりますけれども,そこで人と人との関係性ができてきて,信頼関係が出てくると日本語学習を通り越したところで自分自身の持っているものを発揮でき,あるいは発信でき,そしてまた日本人からいろいろと情報も得られるというところかなと。ただ単に私は対日本人だけではなくて,そこに集まってくる同じ国から来た人たち同士の関係性もそこで構築されていけば,よりその小さなコミュニティから徐々に自分たちの居場所と,いろいろな相談できる場が出てくるかなというふうに思いますから,その場所をこの日本の社会でどれだけたくさんつくっていくかがちょっと重要かなというふうに思いました。

山田:ありがとうございました。
 すかさず手が挙がりましたので,中津さんお願いします。

中津:秋山さんと伊東さんがいろいろヒントを出してくださったので,いっぱいいろいろなことを思い出しました。
 保護者は力がないわけでは全然ないし,声がないわけではないんですけれども,自分がすごい苦労して経験をして日本に渡ってきて,こんなに自分のことも表現できる,そんなことをやってのけてきたことすら,一時期,例えば子育てのこととか子供のこととか,うまくいかない同僚との関係とかの中で,そんなにすごい経験をして今ここにいることを忘れてしまっている。私の今出会っている子供の御家族,一番短い親で日本に来て6年,一番長い人は22年の帰国者の二世の方ですが,そういった個人があまりにも励まされなさ過ぎたと思います。彼らお父さん,お母さんは,私たち,ある意味地域の国際交流協会の努力は知ってくれていますが,ただやはり何といいましても,私たちはボランティアベースといいましょうか,地域の国際交流協会でひいひいやっています。
 私たち何より外国人の子供,あるいは保護者を見ている中で,やはり教育行政にきっちりついていくというか,離れてはいけないなと思っています。例えば,先ほど申しました進路相談会という教育委員会,先生方が多く集まられる場で,私たち「子どもメイト」では,保護者の話,先輩の話というのを担当しております。毎年,だれが出るということが会議の一つの話題になるんですけれども,これはあるフィリピンのお母さんなんですけれども,やはり非常に苦労をして3人の子供さんを育てられた方です。国際結婚をして,日本語あんまり上手にならないとか言いながらも,子供が不登校になったときの経験であったりを,初めてそのとき母語で,日本語はできないということで母語で話をしてもらいました。泣きながらの話でした。時がまた半年ほどたちまして,そのお母さんにちょっと通訳の手伝いしてよということをまた頼みました。そのときの自己紹介,日本語でした。そのときにそのお母さんが,「自己紹介は緊張しました。でも終わるともっと話したい気もした」ということを言ってくれました。
 その後,実は某市が外国人市民代表者会議なるものを立ち上げるに当たりまして,その話をそのフィリピンのお母さんに持っていったところ,「私にできると思う?」という返答でした。びっくりしました。断るかなってちょっと心配もしたんですが。かねてから「中津から電話がかかってくるときには,いつも教育委員会の先生の前で話をしろ」という話ばかり,しかもそれを周りの先生と学校に来る人たちは手をたたいて喜んでいる。何か涙ぐんで一生懸命聞いてくれている。もっと言え,もっと言えと応援をする。「そう言われれば私の言うこと,視点というのは,ほかの人の力になるのかもしれない」ということをそのお母さんはやはりそういったパブリックな場で堂々と話すことによって社会的な認知のあることによって一つハードルを越えてくれるのだ,こんなに彼女は自分の力を思い出すんだなということを実感いたしました。
 それから,そういう意味では,私たちどこまでも事業が地域から外れてはいけない,地域から浮いてはいけない。多くの市民からやはり賛同を得てということで,努力をしたいと思っています。一方,お父さん,お母さんたちが私たち地域の市民,多くの日本語人に理解できない部分ももちろんあります。うれしかったのは(木)に母語を教えてくれている側が自分たちでグループをつくったことです。というのは,センターに来れない子供がきっといるだろう。僕らみんな今バイク持ってるし,大学生やし,自分が母語家庭教師なんだと,自ら出かけていく。そうすると,外国籍の子供たちの8割を超える学校でたった一人が在籍する子供たちも救われるんではないか。それはかつての自分が欲しかったものではないか。ということと聞いています。この間,明治学院大学のボランティアセンターのお世話になりながらソニーさんの方から助成されているようです。名前は,フェイシャンという,「飛翔」というグループです。そこの活動の中で当事者たちがピアカウンセリングというんでしょうかわかりませんが,お母さんたちのつぶやきも聞いているようです。お母さんたちは将来の我が息子を見るような形で,時に相談をし,時にやはり自分の力を思い出すというようなことをやっているというふうなことを思い出しました。
 以上です。

山田:ありがとうございます。高木さんありますか。何か一人ずつ順番にということでもないんですけれども。

高木:一つは最初の問題の中で,まず親と子供の関係みたいなお話がありましたけれども,大体,今お話になったことと重なってきてしまうんですけれども,親子の関係というか,どうしてこうと考えるときでも,親が自分一人で子供に対面して,子供が自分一人で親に対面するというのはやっぱり非常につらいわけですよね。その外側はないというんでしょうか。虐待なんかの仕組みも,そういったところから出てくるという話もありますけれども。全然外側がないとつらいということがあるんだと思うんですね。ですので,もう今の皆さんのお話に本当に繁栄されてしまっているんで,今さらという感じですけれども,基本的には孤立しない仕組みというのは絶対必要であって,その方法論というのは地域とか人々で,多分非常に違うんだろうなという感じがするんですね。一定程度,同じような立場の人が多いところであれば,ピアでやっていくというやり方もあるでしょうし,そうではなければ,やっぱりその地位の人たちが何らかの形で考えていく。場合によってはもしかすると,ネットだとかもっと新しいテクノロジーを使いながら,かかわりをつくっていくという可能性もあるのかもしれないんですけれども,ポイントはそこで生きている世界の中で,実質的な意味で孤立しないということだと思うんですね。
 例えば,多分親にがんがん何か,私は本当はあなたにこうなってもらいたいと思っていると言われても,それを子供の側が,いや親にこんなこと言われちゃってさ,という形で語り合えるほかの人たちがいれば,それは多分生きていけるんだと思うんですよね。逆に親も,子供の前では強気なんだけれども実は,みたいな話ができれば,そうすれば多分2者の関係というのはかなり緊張感があっても,破綻はないと思います。親子の関係というのは,大体そういう緊張感の中で長い時間かけて何かをつくっていくということだと思いますので。ポイントはそこら辺にあって,今,いろいろな方法論とかいろいろな可能性のお話がありましたけれども,ポイントはそのあたりかなというふうに思います。

山田:ありがとうございます。私もちょっと今伺っていて,キーワードということでもないかもしれませんけれども,居場所という言葉が頭の中には浮かんでいるんです。その居場所も高木さん先ほどおっしゃったような,何かその場所で起こっていったものが形になる。形をつくるために起こすんではなくて,という話も出ましたし,それから伊東さんも中津さんもそうですけれども,本当に必要な場所,自分たちにとって言い方ちょっときざかもしれませんけれども,育つ場所というようなそういう場所がどう提供できるかと。それが提供できることで,かなりのことというのが治癒力と言うと変かもしれませんけれども,人と人とがかかわり合いながら今の問題を越えていくような,そういう自然治癒力という言葉がありますけれども,何かそういうものが起こってくるんではないか。それをうまく起こさせるような場をどうつくったらいいかというようなことかなというふうに思ったんです。
 それと,もう一つ,そういう居場所というのが,外国から来ている人たちの育つ場所というだけではなくて,ホスト側というか日本人であってもあるいは先輩の外国から来ている人であってもいいし,いろいろな立場の人でもいいのですけれども,そのまさにその人たちと一緒にかかわっている人たち側の学びというか,あるいは自分たちも育つというか,そういうことになってくる。私,適応という言葉自体は慎重に使いたいというふうに思う人間なんですけれども,まさにその社会に適応させるために何らかのその居場所があるということ以上に,相互適応というか,もともと日本にいる側もその外国から来ている人たちにちょっと適応していなくて,そこで何か問題が起こってしまったり,いろいろなことがあるのかもしれない,お互いに適応するための居場所みたいなものですね,何かそういうものが必要だし,そういうところにしていくべきかなというふうにお話伺っていて感じたんですけれども。そういう居場所をつくるための工夫というか,実際に中津さんも伊東さんもそういうことはされているわけですけれども,親子の日本語も数は限られているし,とよなかのセンターは一つしかないし,そういうことから言うと,日本社会にもっともっとその居場所が必要だし,ここに会場に来ていらっしゃる方々も多くはそういう居場所づくりに関係しているというか,実際に今まさにつくっている方々が多いんではないかと思うんですが,その居場所づくりのために何か提案というようなものがあれば,また私の方からの呼びかけで申しわけないんですけれども,お願いできればと思うんですが。
 秋山さんお願いします。

秋山:中津さんと伊東さんと高木さんのお話を聞いて,まずその居場所づくりをするよりもそのベースのものが必要なんではないかと。それは何かというと,外国人が日本なら日本で,明るく楽しく健康にやっていくという意思をもつためには,その当事者の自尊心が上がらなければいけないんではないかということです。
 では,自尊心を上げる,ある意味で言えば今さっき山田さんおっしゃったように,回復が必要ですが,いろいろなその悩みとかいろいろな心の痛みというものをどう回復させるか,親子関係もそうだと思うんですけれども回復させて,そして安心できる場所をつくってそこで仕掛けをつくって,結局はその当事者に対して自他の感情を理解させる。例えばどういうことかというと,孤立か孤独かということだと思うんですね。孤立というのは,相手と遮断してしまうことですね。孤独というのは,場所で集団になったとしても一応周りに人がいるということを理解できる。いわゆる孤立から孤独へという部分に移行させていかなければいけないんではないか。その仕掛けが,恐らく中津さんとか伊東さんのその事例の部分に入っているんではないかなと。
 だから,実際に自分の現場の中で孤立させてしまうような状況があるかどうか,その関係性があるかどうかということを専門家は見ていかなければいけませんし,実際にこちらが1から10まで計画をしてその中で行動してもらうというのではなくて,当事者の気付きの中で自分自身が孤独であると認識し,どういうふうにしてその場に自分のアイデンティティを周りに示していったらいいかというプロセスづくりですね。それをプログラムとしてつくっていくことが,当事者の居場所づくりの中で大切なのではないかなと,ちょっと私はこの何年間か思っているんです。御意見がございましたら,その辺もお聞きしたいと思います。

山田:ありがとうございます。では,伊東さん。

伊東:居場所づくりの前に秋山さんはベースが必要だというようなことをおっしゃったんですけれども,そのベースってちょっと私よくわからないんですね。
 例えば私はある大学で教えていて,ではそこで私に居場所があるかどうか。でもやっぱり人間関係悪くなったら,ちょっと居心地悪くなって,居場所がなくなってほかの大学に行ってしまうかもしれないなということを考えると,居場所というのも人それぞれによってとらえ方違うなと思ったんですね。
 外国人の場合には,例えば言葉がわからないことで情報が全然入ってこない。そして,私は一体どのように生きていくかというその生きていくために,自分がどのような動きをしたらいいかというその居場所がないために困っている場合もあると思うんです。しかし,言葉ができても,自分が果たしてこの社会でコミュニティで気持ちよく生きられるかどうかというやはりいろいろな次元があるかなというふうに思うんですね。外国人居住者の場合は,やはり最初に言葉ということを考えると,やはり最初のいわゆる居場所づくりとしては言葉の学びができる場所というようなところの提供が,まず一つ重要になってくるかなというふうに思います。
 しかし,先ほどの支援,秋山さん引っかかるとおっしゃったんですけれども,私もやっぱり支援という言葉は引っかかりますけれども,しかし支援という言葉は,外国人が最初に日本に来て助けを求めたいといったときに,やはりサポートであっても支援であっても,ああ,ここは支援してくれるところだ,サポートしてくれるところだということがわかれば,行きやすいということもあると思うし,やはりこれから外国人のために何かお役に立ちたいと言って,ボランティア活動を始めようとする人は,何かお手伝いできることは支援できることはという形で参加し,そして後に参画するということになると思うんですね。ですからいわゆる段階があって,その支援のとらえ方も段階があるので,私はただ単に支援という言葉が引っかかるだけではちょっと難しいなと思います。
 去年発行した「地域日本語学習支援の充実」,もし支援という言葉が引っかかるということであれば,この支援,何ていう言葉がいいかなと思ってみたりもしたんですね。で,ある会合で日本語支援だねと言ったら,伊東さん,私は支援という言葉が引っかかるので私は使いたくない,では何ていう言葉を使うのがいいのかなと思ったりもするんですけれども。やはり,私は支援という言葉は使ってもいいと思いますけれども,ただ,その支援をすることで,支援する方もされる方も変容しているわけで,それから徐々に,実は私たちは多くのことを学んでいるんだ,必ずしも支援だけではないんだというその気付きの方が重要で,そこまでいく前までは私は支援という言葉は使ってもいいし,それが的確であればいいかなとは思うんです。

山田:そうですね。支援という行為によってつくられる上下関係の問題を秋山さんは特におっしゃっている…。

秋山:それが社会構造のベースにあるわけです。私の言っていることとして,一つ目はまず入り口では上から下へという指導的支援は必要だと思います。その後同じ立場で共働するという両極でやっていかないといけないということを私は言いたいわけなんですね。ですから,別にそれだけが問題であるということは言っておりません。いわゆるその両極を進めていかないとうまく進んでいかないということなんですね。だからそこはちょっと間違えないでいただきたいと思います。両極を考えなければいけないと思います。

山田:中津さん。

中津:先ほど,山田先生の方から居場所のつくり方ではないんですけれども,たまたま豊中ではうちのような事業,主催事業としてこのような居場所をつくっている。高木先生がおっしゃるところの結果としてこういうことになっているんですが,例えば学校に「今の担任の先生すっごいいいわ,すごい話聞いてくれる」「お母さん,何かおうちにおもしろい絵飾ってますね。中国のですか」「いやいや実はね,先生私15年前に来ましてん」「え,どっから」「いや,中国」「あ,ほんまですか,わかりませんでしたわ」とかいうような話を懇談でできる先生が見つかったら,やっぱりそこも一つの居場所のスタートになるだろうなあと思います。
 一方,例えば日本語教室でそんな会話がもちろん,親子の方でも出てきているのは,もうそれは枚挙にいとまがないと思うわけなんですけれども,そのときに例えばその人同士,学校の先生と日本語の先生とかが,もし何らかの形でつながっていたら,お互いがそれぞれ同じ地域で同じ似たような活動しているんだったらば,その事業間の連携というんでしょうか,その事業がきちんと地域市民の中でも認知をされ,お互いに紹介し合うような形で,交流があったりするならば,もう一歩開いたというか,進んだ形での居場所になるような気がします。何ていうんでしょう,資源というかリソースはすごくいっぱいあるんですけれども,もうちょっとあそことあそこが近いといいなと,時々すごく皆さん惜しく思われることっておありではないでしょうかね。外国人同士の居場所というのもそうなんですけれども,何か私ら同士というか,日本語人同士というか,地域の居場所というか,もうちょっと仲良かったりするともっと話が早かったりせえへん,というのは思います。
 あと,私たちも必死に居場所をつくっていますし,例えばちょっと御紹介なんですけれども,目指すスタッフ像ということで,例えば「渡日の子供たちが弱者であり続ける理由を考え,地域社会や制度そのものを振り返る視点を持てる人」とか,あるいは「その子供のニーズに応じた作業をしながら同時に他者に作用していける人」とか,一生懸命自律をしてできるだけ対等な関係でとか思うんですけれども,もうそろそろやはり彼ら,数が少ないことで弱者にさせられている彼らの声を届けさせないシステムというものを,きっちり変えていかないといけないんではないかなと思っています。居場所をつくるのも大事だと思うんですけれども,ちょっとつくって走って疲れてきたというのもありますし,外国人支援とか,日本語教育とか外国語教育とか携わる先生がこれだけいらっしゃるわけですから,彼らの声を政治的にきちんと届けるシステムを,そろそろ制度にしないとまずいんではないかな,大同団結してもいい時期ではないかなということを居場所づくりに疲れながらちょっとお伝えしたかったです。
山田:ありがとうございます。いかがですかね。
 では伊東さん。

伊東:中津さんの話をちょっと聞いて思い出したんですが,やっぱりその居場所づくり,ただみんなが集まる場所だけでは駄目で,やはりその個々人が自分の持っている個性みたいなものが発信できる場,日本語ですべて行われてしまうとその言葉が使えないと,なかなか発信できない。しかし,それなりに母語であっても何であってもいいと思うんですね。やはり何か発信できるような仕掛けがある居場所というのはすごく重要かなというふうに思いました。ですから,例えばその国の料理を紹介してもらうとか,あるいは国を紹介してもらう,これは国際理解教育でも随分言われてはいますけれども,やはり自分の持っているものを何か発信できるような場というのが,居場所づくりには重要かなと。
 それと同時に,幾ら人が集まっても,そこがやはり快適な場所でないというのは人間関係が希薄ということもあるだろうと思いますから,いかにその関係性を構築していくかというのは重要かなというふうに思います。その関係性づくり,ちょっと難しいと思いますけれども,どのように人と人とのかかわりを生み出していくかというその仕組みというか,からくりというか,それを考えることの方が重要かなというふうに思いました。

山田:高木さん,お願いします。

高木:その居場所をどうやってつくるかという話なんですけれども,先ほどお話ししたような意味で居場所を考えるとするならば,非常に不安定な場所であるし,不安定である間というのは,ある意味,居心地の悪い場所でもあるわけですね。どうしたらいいかわからないとか,何かやろうとしたら否定されてしまうだとか,ある意味で,やっぱり居場所としていい場所というのはある側面居づらかったりするわけで,何か矛盾があると思うんですね。どういうことかというと,その居場所づくりをしようと思うならば,多少居心地悪くても我慢してもらわなければいけないということがあって,どうして我慢してもらえるかというと,要はすごく実利的に役立つ場所というのは必要だと思うんですね。だから,日本語教室が結構いいんだと思うんですよ。
 つまり言葉を学ぶというのは,別にみんなだって自分の居場所づくりだと思ってくるわけではないですから,ものすごく実利的に日本語を学びたいと思ってくるわけですね。その力をフル活用すべきだと思うわけです。つまり,多少は何かなとかと思いながら,でもとにかく言葉を学ぶことに関しては,あそこの教室はすごい,学んでいる感じがすると。そういうことをして居続けるうちに,結果としてそこの中で人と人との何か化学反応みたいなのが起こって居場所が生まれてくるわけだから,そういう意味ではすごく何といいますか,キャッチといいますか,現実的にお役に立ちますみたいな売り出しというのはすごく大事だと思うんですね。それが今のところ一番重要な回路,一番よくわかっている有効な回路は日本語教室だと思いますけれども,もしかすると,地域ごとにもっともっとその地域の中で外国人の住民たちが,これがあったらそれは行くよ,みたいなものが何かあるのかもしれないので,そういう形での掘り出しというはやっぱり必要だし,居場所をつくりましょうとか,あなたにとって一緒に支え合いたいことは何ですかというような抽象的な呼びかけをしても恐らくは集まってこない。なので,やっぱりそういう面で要は居場所づくりのテクノロジーというか,そういうことで言えば,極めて実利的でそこはもう支援と言ってしまっていいわけですよね。やってあげますよという形で言ってしまっていいものからそういう本来的な意味での居場所が生み出されていて,二つが重なるような,そういうことなのかなということを今ちょっと考えました。

山田:ありがとうございました。実は時間がもうあんまりなくなってしまったんですけれども,最後に皆さんに一言ずつまたお聞きしたいと思うんですが。今回このパネルの人選というのは,文化庁の中野さんがしたんですけれども,私に司会やれとおっしゃって,私,司会下手だから話す方が好きだからと言ったんですけれども,どうしてもやれということで,パネリストの方々のお名前を見たら中津さんが入っていて,えっとびっくりしたんです。中津さんと私はずっと前から国際交流協会でほぼ6年間御一緒して,私はボランティアで中津さんはコーディネータというか,上の立場で,私は使われていたんです。
 それで,私がこんなことを言うのも変なんですが,「子供メイト」という活動を始めてしばらくして私なんかも入ったんです。その後で何かに中津さんも書いておられますけれども,最終目標は発展的解散というふうにはっきり言っているんですね。要するに豊中市というのは40万の人口のあるかなり広い市なんですけれども,その端っこの方から自転車,あるいは電車,バスを乗り継いで子供がこの場所に集まってくる。ここを居場所にしているってこれ変じゃないか。つまり,子供にはそれぞれ自分の,例えば学校ならば学校という居場所があるし,地域社会なら地域社会という居場所があるはずだと。その居場所にいられないでここを居場所にしているような社会の方が問題なんだと。早くそれぞれの居場所に帰っていって,それぞれの居場所が本当の居場所になっていくために,我々は一緒に今の居場所を守るしかないというようなことをボランティアの仲間たちみんな言っていたわけですけれども。
 今日高木さんも触れられたんですが,本来,自分がやりたいことをやる場所が居場所になって,そこで人間関係ができたり,あるいはそこでは「ふ」の人間関係かもしれないけれども,でもけんかをやる仲間もそこにいるというようなそういう居場所ができればいい。それをいつまでも支援というような形で自分が主体ではなくて,そこにお客さんでいて周りにしてもらわなければいけないというのも寂しいですから,とにかくなるべく早く自分がそこにいることを認めてもらって,自分がいることに価値があるというふうに周りも思ってくれるようになっていく。それによって,自分も居場所のために何かをしたいというその積極性がそこに生まれるんではないかと思います。そういう形でさっきの高君の報告であったんですけれども,やはりまさに自分がいることを周りが受けとめて,それに価値を見出してくれている,だから一歩先に進める,そんなことがあるのかなというふうに思いました。
 短くて申しわけないんですけれども,皆さんに3分を超えない範囲で最後に一言ずつお願いできればと思うんですが,今度は高木さんの方から順番でいいでしょうか。
 ではよろしくお願いします。

高木:では,ここまで言うタイミングがなくてなかなか言えなったことを,ちょっとお話しします。
 発展的解消をしていって,具体的な場所が消えたときに何が残るのかということなんですけれども,やっぱり歴史というか,物語というか,つまり,この地域ではかつてこういうことがあったとか,今自分がいる状況を意味付けたりとか,それからその方向を見せてくれるような語りみたいなものがあるんではないかな。それは,多分先輩はこうだったとか,あの地域では昔こういうことがあったんだとか,今あそこにいるあの人は頑張って働いているけれども,あの人こうだったんだよみたいな,そういう伝説といいますか,歴史を残していくというようなことがやっぱりすごく大事で,要はどう頑張ったってユートピアというか,パラダイスは来ないわけですよね。何やったってつらいことは残るわけでありまして,そういう状況の中で物事をやっていくときには,そういう物語というか歴史というか,そういったものはすごく大事で,やっぱり何か豊かに語る場というんでしょうか,こうしようとかああしようと理屈を語るんではなくて,こんなことがあります,あんなことがありましたというような事例を豊かに語り合えるような場所,それが何となくみんなに行き渡っているというようなことがあるといいのかなと。ちょっとあまりうまく話せないんですけれども,そんなことを考えました。

山田:ありがとうございました。それでは,秋山さんお願いします。

秋山:話すことは話してしまったので,五つほど大きくまとめます。
 一つは,否定的な考えから肯定的な考え方になるのが多分そのグループのポイントだと思うんですね。それから,エクスクルージョン(排除)からインクルージョン(包括)ですね。いわゆる疎外されることから今度はそれを包括するというキーワードですね。それからあともう一つは,グループの目標達成,グループをずっとやっていますと結局ずっとそれは存続してしまうんですけれども,グループの原理がありまして,ある程度目標が達成されると解散するという原理があるんですね。一度やめてまたグループをつくる場合,もう一度新たに目標を立て直して,そして新たなグループをつくっていかなければいけない。そこを忘れていることがあるのではないかなと思います。実際にそのグループをつくっていって,各自が言葉を学ぶことによって自分にどのような利益がこれから生まれてくるのか。つまりは元々は利益を生み出さないと思われているものをどう生み出すかというその存在価値ですね。いわゆる存在価値に気付くことだと思うんですね。その気付きというものを幾つ出せるかが,恐らく支援のポイントなのではないかなと思うんですね。
 それから,今さっき高木さんがおっしゃったように,ナラティブ*1,いわゆる物語ることによって人間関係の歴史とか,自分の存在をもう一度見つめ直す。自分の育ってきた母語というのは何だったんだろうか,何で私はここに来てしまったんだろうかというような経過の歴史性や関係性なんですけれども,そこら辺をもう一度思い出すということですね。
 もう一つは,自分が自信を取り戻すプロセスをつくることも物語っていくこと。物語ってみんなに伝えていくということですね。それをやっているところは自助グループだったりするわけですね。ピアグループということありますけれども,そういったものをどういうふうにセッティングしていくかが,多分これから必要になっていくんではないかなとちょっと思いました。
 以上です。

*1 ナラティブ 自分の生き様を物語ること。


山田:ありがとうございました。伊東さんお願いします。

伊東:海外に行っていて,見知らぬ人から道を尋ねられると,「何で私が道を尋ねられるのか。私外国人だけれども」というような印象を持つんですけれども,日本の社会も外国人の人たちが日本人から道を聞かれるような社会になるといいかなというふうに思いました。それだけその多様性を享受できる社会になっているといいかなということです。
 私はやはり日本語教育というか,日本語とのかかわりから言うと,さっき高木さんが,学校での日本語教室は効率性をやはり重要視するような話をされていましたけれども,やはり私たちは効率性というよりも日本語の指導を通して,学びを通して,やはりそこの中で,そこにいる人たちとの人間関係というか関係性がつくり上げられるような仕組みで日本語指導,指導というとまた怒られるかもしれないけれども,ということができていったらいいかなというふうに思っています。
 以上です。

山田:ありがとうございます。では最後に中津さん。

中津:これで,からくりはおわかりになったかと思います。山田先生を初め,多くの先生方に人材育成をしていただいております。子供たちがやっぱりこんなに頑張っているのと同じぐらいに,私は頑張っているかなということを常に考えておきたいと思います。
 本日,文化庁の寺脇部長から文化の国,世界の平和と人類の福祉のため,その発達のためにというお話がありました。私は日本語教師です,日本人ですということが世界のどこに対しても堂々と胸張って顔上げて言えるような,そういうプライドを持った自分でいたいなと思っています。外国人の子供たちが一方的に努力をしてうなだれて自信を持てずにいる。そして,母親は時々泣きながらどこか日本語教室にいるというような社会は,あんまり格好よくないなという価値観が根づいていくといいなと思います。子供たちが何にもなくさない,日本に来て本当によかったと言ってくれる社会を,私たちホスト側がやっぱり頑張ってつくっていきたいなと思いました。
 勉強になりました。ありがとうございます。

山田:ありがとうございます。時間があれば,会場の皆さんからも御意見いただいたりしたかったんですけれども,1時間50分,今ちょうどなろうとしています。これで終わりたいと思いますが,最後にちょっと一つだけ私が思っていることを言わせていただきたいと思います。これは,率直に言うと国は金を使えというそういうことなんですけれども,ここに座っていてそういうことを言うと,今後はもうここには座れないだろうなと思いつつ。
 私の親しい知り合いから聞いたんですけれども,その人は滋賀県で子供たちのある意味の居場所づくりをやっている人です。その滋賀県の2003年度の外国人登録者数というのが,国別年齢別というのがあって,それを見ると0歳のブラジル国籍というのが一番多いんだそうです。これはその御本人がかかわっているからわかるわけなんですが,大変に今はベビーブームなんだと。その親は,ほとんどが10代だそうです。それも10代の前半もいますというそういうお話で,私は愕然としたんですけれども,時代はそういう時代なわけですね。不就学,文科省もこれから調査から始めようとしていますけれども,もうその調査というものを超えて現実がある種の社会をつくり上げていっている。つまり,親自身が日本語も母語も読み書きに不安があるという,そういう親が子供を育てている,そういう時代になっているわけです。
 これは,私が思うには現代社会にあって健全な社会とは言えないんではないかなと思います。さっきの高君のように,バイリンガル,バイカルチュラルで日本のため,あるいは中国のためだけではなくて世界のために生きていく若者がどんどん育っていく。その裏で,同じその日本という社会にあって両方とも,つまり自分の母語も母文化もあるいは日本語も日本文化も,両方とも,言い方が悪いんですけれども,不十分と言わざるを得ない人たちが育っていって,社会の一部をつくっていくというそういう社会は,どうなんですかね。
 つまり,すべての場所が子供たちの居場所になって,そこで健全に育っていくというそのためにお金を使うのと,今言ったような人たちは別の社会的に問題があるような行為をしているわけではないですけれども,学校に行けない子供たちの中には,一部ですが,反社会的な行動をしてしまう子供たちも出てきている。それに対してお金をかけざるを得なくなる。そういう社会をつくった方がいいのか。ちょっとお金のかけ方をきちっと国も判断してもらいたいと思います。そして,その国に判断させるのは,恐らく納税者であって有権者である我々だと思いますので,きちっとその辺を要求していくというのが大事かなというふうに思いました。
 こういうことを話そうとは思っていなかったんですけれども,皆さんの御意見を伺いながら,ふと今思い出してしまったので話しました。
 どうも長い時間ありがとうございます。これで終わりにしたいと思います。パネリストの皆さん,会場の皆さん,どうもありがとうございました。

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