事例発表

司会(中野):続きまして,「私と家族の日本語学習について」という題で,高榕輝さんから御家族の言語使用や御自身の日本語習得の体験談を中心にお話しいただきます。
 それでは,高さんよろしくお願いいたします。

高:ただいま,御紹介いただきました高榕輝と申します。1985年生まれ,中国出身です。
 5年前,僕は15歳のときに日本に来ました。横浜の中華街の入り口にある港中学2年に編入しました。部活は野球部でした。その後,神奈川総合高校に入学して残念ながら神奈川総合には野球部がなかったので,僕はサッカー部に入りました。今年の春,僕は一般入試に合格して首都大学東京に入りました。今は首都大学東京都市環境学部材料化学コース1年生です。
 僕の家族について紹介します。僕の父親は10年ほど前に仕事の関係で日本に来ました。その次の年,母親も来ました。両親は僕たち4人兄弟のために一生懸命働きました。その間,僕たちはおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしていました。そして5年前,僕たち4人兄弟は日本に来て再び両親と一緒に暮らすことになりました。一番上の姉は日本語学校に通いまして,そして僕と大きいほうの妹は中学に,そして一番下の妹は小学校に入りました。今姉はフリーターで,妹はそれぞれ高3と中3です。みんな普通に日本語も話せます。母親は日本人とあまり交流していないため,少ししかできません。だから僕は家では両親と話すとき,福建方言を使います。そして,兄弟の中では中国語,北京語を話します。でも外に出ていると日本語だけです。僕の家では中国のテレビ番組も見られます。なので,僕はよく家族と一緒に中国のドラマやニュースなどを見ています。
 僕の父親は,日本に来ているからには日本語はもちろん大事だけれども,自分の母国語である中国語も忘れるなよといつも言っています。僕の父親は常に中国で起きた大きな出来事や中日関係に関心を持っています。父親は家庭の事情で大学には行けなかったんですが,僕たち兄弟にたくさん勉強してもらって,できればみんないい大学に行かせたいつもりです。いつも応援してくれています。例えば,職場にいる留学生たちに大学の情報などについていろいろ聞いてくれます。4人兄弟を支えている両親は,大変で私立に行かせてくれる金はないんで,僕たちもできれば国公立に行けるように努力しています。
 僕の日本語の勉強について,お話ししたいと思います。僕は港中学に入ったとき,最初に会ったのは校長先生と国際教育の先生でした。皆さん御存じのように,国際教室は外国人が日本語を勉強するための特別な教室です。そこにいた先生は,みんな中国語と日本語両方話せます。僕が日本に来たときにそのような先生は大体5人ぐらい国際教室にいました。そんな環境で僕は週5時間ぐらいそこで勉強することになりました。日本に来る前,日本語を全く勉強したことがないので,最初は平仮名,片仮名からでした。妹も同じ中学に入ったので,一緒に勉強しました。いきなり漢字の変わった形の文字をいっぱい教わって,最初はこれは絶対に無理だと思いました。でも先生は,カードゲームとかを使いながら,読み方とかを教えてくれました。おかげでたくさん覚えられました。それから1週間,毎日確認のためにカードゲームをしました。当時,家の近くにはたくさんの駐車場がありました。そして僕が車のナンバープレートには1文字ずつ平仮名が書いてあることに気付きました。そして,妹に負けないように僕は駐車場を通るたびに車を確認して,その読み方を毎日のように練習しました。すると確かに妹より覚えるの早かった。
 その後,僕より2カ月も早く日本に来たO君と一緒にタカダ先生のところで勉強することになりました。O君は僕と同じクラスで,故郷も同じで,びっくりすることに誕生日まで一緒でした。僕たちはすぐに仲良くなりまして,国際教室でお世話になったタカダ先生は授業がとても楽しかったので,僕たちはいつも授業中,笑ってばかりいました。
 もう一人お世話になった先生がいます。カイ先生です。カイ先生の担当で日本の文化などについて,いろいろ教えてもらいました。あと,勉強やマナーについて厳しいんだけれども,優しいリン先生もいました。国際教室はとても居心地がよかったので,僕はほとんど休み時間をそこで過ごすようになりました。
 そして,英語を使った日本語学習を紹介します。僕は日本に来る前に中国の中学校で英語を学んでいましたので,日本の中学レベルの英語は僕にとってとても簡単でした。英語の授業のとき,僕には教科書の内容は簡単だったので,ほかの生徒が単語や文法を勉強しているとき,僕は彼らと逆に日本語を覚えようとしました。大抵,先生は内容等和訳をゆっくり何回も読み上げるので,僕もほかの学生たちと一緒にその和訳をノートに書き込むことにしました。最初はついていけなかったんですが,平仮名がうまくなって,書くスピードも上がると同時に和訳もほとんど自力で一人で書き込めるようになりました。英語の授業を通じて日本語の勉強,言葉の勉強と文法の勉強は非常に上達が早い気がしました。そのほか,英語が少し分かると外来語とかを簡単に習得することができます。
 そして,漫画を使った日本語学習についても紹介します。日本の子供にも人気がある「ドラえもん」という漫画は,中国でもすごく人気がありまして,その翻訳したものを中国で小学生のときすごい好んで読みました。何回読んでも飽きないほどおもしろかったんです。ちょうど僕が日本に来たときに国際教室にはドラえもんの漫画がありました。それを毎日借りて読みました。既に中国で読んだことがあるので内容は分かっているので,それを使った日本語の勉強は非常に楽しくて覚えやすいです。特にそのおかげでたくさん覚えたのは,日常会話でした。その後,「スラムダンク」や「キャプテン翼」とかも読みました。少し上達したら「サザエさん」とかも読むようになりました。
 しかし,その漫画の中の文化で,中国で読んでいたころには分からなかったところがあるんですよ。それが日本で暮らすことによって,少しずつ日本の文化や習慣を分かってきたことにより,その場面のおもしろさとか再発見ができました。それがすごく感動しました。
 そして,僕の部活のことについてお話ししたいと思います。中学に入ったとき,どの部活にしようか迷っているときに,国際教室のカイ先生に今日の放課後キャッチボールしないかと誘われました。あの日,初めて野球をやりました。すごく楽しかったので本気で野球をやろうと思いました。ちょうどタカダ先生は野球部の顧問で,僕はルールなどについていろいろ分からないところを教えてもらいました。みんな日本人なので,最初はほとんどボディランゲージでコミュニケーションをとりました。そして野球部の人と少しずつ仲良くなるにつれて,片言の日本語で会話できるようになりました。しかし,僕はやはり初心者なので日本語はそんなにうまくないんで,監督のサインとか言っていることはよく理解できませんでした。最終的に僕はレギュラーになれませんでした。すごく悔しかった。身体能力ではなく,言語能力で負けていたんで,高校に入って絶対うまくなろうと決めました。
 しかし,残念なことに僕がずっと行きたかった神奈川総合高校には野球部がなかったので,僕は友達の誘いでサッカー部に入りました。僕は積極的に,みんなが敬遠しているキーパーという大事なポジションを選びました。試合中,走っているプレイヤーに指示を出したりするのもキーパーの仕事なので,最初は何について言えばいいのか分からなくて,ただぼうっとゴールの前に立っていました。そして,点を決められて負けて悔しく,何度もキーパーをやめようかと思いました。そこで先輩にアドバイスをもらって,とりあえず試合中に疲れてきている選手を励ますことから始めました。効果がありました。選手は最後まであきらめずにボールを追いかけるようになりました。試合中,どんどん声が出せるようになりました。そのおかげで僕は声を出して日本語を話すことに慣れました。そして,僕はサッカー部の人とすごく仲良くなり,みんなと一緒に勉強したり御飯食べたりいろいろ話せるようになりました。そして,言葉使いなどで間違ったところも親切に教えてもらいました。
 僕が日本語勉強についての苦手だったところ,苦労したところについて話したいと思います。日本語の勉強において,特に敬語は難しかったです。さっきピーターセン先生も言ったとおり,敬語がとても難しかったです。今もよくわからないという状態です。それから,最初は「な行」と「ら行」は聞き分けられないときがありました。今は大分慣れたんですけれども,どちらかと言えば,聞き取りより,自分で表現することが難しいです。文章が書けないというのも,悩みの一つです。
 僕は小さいときから文系の科目に全く興味がありませんでした。特に歴史とか国語とかは一番苦手でした。国語という教科はいつも僕の平均点を下げていた。高校受験のとき,国語と数学と英語3教科が必要だったんですけれども,国語は6割も超えませんでした。でも,数学と英語は満点で何とかカバーしました。そして,大学受験では,センター試験にも国語があって,それが4割しか,今年4割しかとれませんでした。評論と古文とかは読んでも全然意味はとれませんでした。しかも,国語はセンター試験の配点が200点なので,配点がとても高いし,国語が苦手な生徒にとって,国公立を狙う一番大きな壁になっている。
 そして,外国人学生への日本語学習へのアドバイス,ちょっと話したいと思います。新しい言葉を習得するには,一番大事な条件はやっぱり環境であると思います。だが,その言葉を使う国にいるだけでは足りないのです。僕の母親のように日本に来ても中華街に住んでいたんで,周りはみんな中国人の友達で,日本語を使う機会はあまりありませんでした。なので,母は全然上達はしないです。今も片言しかしゃべれないです。
 その次は年齢にかかわってくると思います。やはり若い人は,言葉を覚えるのは能力がとても優れていると思います。僕の父親はずっと日本人の会社で働いているけれども,仕事場での会話はほとんど問題はないんですが,たまにニュースとか見て全然分からないとか,単語を何回教えても覚えられない。
 また,日本に来て母語を全然話さない人もいます。彼らは分からないのではなく,わざと話さないのです。僕もどうしてかはよく分かりません。ですが,新しい言葉を習得するために,母国語を捨てるのは良くないと思います。たくさんの言葉を使うことにより脳が活発になり,それがまた新しい言語の習得に役立つと思います。私たち外国人学生は,運よく第2外国語をいい環境で勉強することができるのは,本当に幸せです。できれば英語も努力して習得すれば,将来のためにすごい役に立つと思います。楽しい学校生活を送るためには,やはり積極的に部活に参加して,そこの日本人と仲良くなることがすごく大切だと思います。もちろん,それが言葉の習得にもつながるからです。
 最後に,日本語を教えている先生への希望。僕は中学卒業した後もよくタカダ先生に会いに国際教室へ行きました。外国人生徒の数は相変わらず多いんですが,日本語と中国語,両方話せる先生がほとんどいなくなりました。後輩たちはちょっとかわいそうな気がしました。例えば,日本に来ていきなり自分の母国語が分からない先生に授業をしてもらっても,内容はうまく理解できないのです。そして,疑問を持ったことについては,聞きたくてもうまく自分では表現できなくて,幾ら分かりやすい説明でも理解はできないからです。そこでうまく対応して慣れる生徒もいますが,ほとんどの子供は落ち込んだり,その授業を嫌がったりすることになります。そして,いったん子供が嫌になったことについては,もうそれ以来全然やる気が起きなくなります。その結果,上達が遅くなります。でも,自分の母国語が分かる先生がいたら,疑問とかについてはすべて気楽に聞けて,授業もきっと楽しくなると思います。そして興味を持ってどんどん熱心に勉強すること間違いないです。だから,国際教室にいる2カ国語を話せる先生を減らしてほしくないのです。2,3人につき一人の先生がいれば,時間の効率もきっとよくなると思います。あと,国際教室のほかに日本語の勉強できるところをたくさん設けてほしいと思います。
 以上,発表を終わります。

司会(中野):どうもありがとうございました。会場から質問したいことがあるのではないでしょうか。時間が許す限り受け付けたいと思いますけれども,ございませんか。

参加者:T高校のFといいます。私は,高校で高君のようにある程度の年齢になってから日本に来る生徒さんたちに日本語を教えている教師です。高君が日本に来たときはもう15歳だったんですよね。友達もみんな中国にいて,親の都合で日本に来たんですよね,お父さんの仕事で。何でおれが日本に来なくちゃいけないんだよという気持ちはなかったですか。

高:いや,親と何年間も離されて過ごしたから,すごく親に会いたくてすぐにOKと言いました。

司会(中野):講師の先生からはよろしいですか。
 どうもありがとうございました。

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