社会状況の変化と日本語教育

1 コミュニケーション言語としての日本語教育

(1) 日本語学習需要の増大

 日本語教育は,日本語を母語としない者を対象として行われる言語教育である。現在,日本語の潜在的な学習需要は増大していると言えるが,これは,日本語能力の習得を必要とする者が増加していることにほかならない。
 日本語を母語としない者が日本語能力の習得を必要とする要因としては様々なものがあるが,その最も大きなものの一つとして,日本国内において生活する外国人がコミュニケーション言語として日本語能力を必要としているということがある。すなわち,外国人が職業生活上あるいは日常生活を送る上で,母語が通用する特別な環境の下にある場合を除き,一般には日本人とのコミュニケーションを図るためには日本語能力が必要とされている。
 近年,我が国に在留する外国人は増加の一途を辿っている。平成9年末現在,外国人登録者数は148万2,707人で,我が国総人口の1.18パーセントを占めるに至っている(法務省「在留外国人統計」)。10年前の昭和62年末現在の88万4,025人と比較すると,67.7パーセントの増であり,増加傾向は毎年続いている。
 そして,我が国に在留する外国人を大きく在留統計上の永住者とそれ以外の滞在者である非永住者に分けると,増加している者は非永住者である(平成9年末現在,永住者は62万5,450人,非永住者は85万7,257人)。非永住者は,新たに来日した外国人であり,例外的な場合を除くと,日本語能力を十分には有していない場合が一般的である。
 日本国内に居住するこのような非永住者である外国人の継続的な増加は,国内において,潜在的な日本語学習需要が継続的に増加しているものと言える。
 一方,文化庁が行っている国内の外国人等に対する「日本語教育実態調査」によれば,実際に日本語学習を行っている者(独学者を除く。)は,平成10年11月現在で83,025人であり,10年前の昭和63年の64,020人と比較した場合,在留外国人全体に比べると低い増加率になっている。
 このことは,我が国に在留する外国人の増加を踏まえた,学習需要を前提に今後の日本語教育の方向を考えた場合,特に,日本国内において居住することで潜在的な日本語学習需要を有しているが,学習環境が整っていないことなどにより,日本語学習を行っていない外国人を対象とした日本語教育の振興を図っていくことが重要であると言える。

(2) 地域の国際化と日本語学習者の多様化

 (1)において,非永住者である外国人の増加を見たが,平成9年末現在で非永住者の在留資格を詳細に見ると,[1]高等教育機関において教育を受ける「留学」や日本語教育施設等で教育を受ける「就学」が合わせて8万7,366人,[2]外国人研修生が技術,技能又は知識の修得を行う「研修」が2万5,806人,[3]日本人の配偶者又は子である「日本人の配偶者等」及び日系3世等の「定住者」が合わせて47万7,380人,[4]その他,「家族滞在」や「興行」,「技術」,「技能」,「教育」,「企業内転勤」などにより在留している者が合わせて26万6,705人となっている。
 このうち,[3]の日本人配偶者や日系2世である「日本人の配偶者等」や日系3世等の「定住者」の在留資格を持つ者が極めて多いが,これらの人々の国籍を見ると,ブラジルが22万5,159人,中国が8万655人,フィリピンが5万1,296人,ペルーが3万55人などとなっている。
 これらの人々は,平成2年6月に出入国管理及び難民認定法の改正法が施行されたことにより急激に増加したいわゆる日系南米人や中国からの帰国者,あるいは国際結婚による日本人の配偶者などがその大半を占めていると考えられる。そして,必ずしも大都市ばかりでなく,地方に分散して居住し,地域社会の中で生活をしている実態がある。
 地域に居住するこれらの人々は,地域住民と隔絶した生活を送らない限り,職業生活や日常生活を送る上で日本語能力を必要とするものであり,このため日本語教育の対象者としても大きな位置を占めるに至っている。
 また,現在,公立小・中・高等学校に在籍する日本語教育が必要な外国人児童・生徒が1万7,296人おり(平成9年9月現在),学校において日本語指導等が行われているところであるが,このような外国人児童・生徒ばかりでなく,その親などの成人についても地域社会の一員として暮らす上で,日本語能力を習得することは不可欠であると言える。
 これまで,国内における日本語教育の主な対象者として考えられてきたのは,留学生や日本語教育施設において学ぶ学生など,専門的な日本語教育を受ける者であった。そして,主にそれらの者を対象とした日本語教育の場の整備が行われ,教育内容・方法の改善が図られてきた。
 しかし,これまで見てきたとおり,日本語能力の習得を必要とする者の年齢構成や在留資格は多様化してきており,そのような多様な学習需要に適切に対応した日本語教育の展開こそが今求められていると言える。

2 文化発信の基盤としての日本語教育

 言語は,コミュニケーションの手段であると同時に,その言語を用いる民族や集団の文化的同質性の基盤を成すものである。国際化が進展する中で,互いに異なる言語・文化を有する者との異文化間接触がますます増えている今日,それぞれの言語・文化を尊重し,認めあうことで,理解と親善を深めることが重要であることは言うまでもない。このように言語・文化の交流は双方向性を有するものであり,我が国においても,諸外国の言語や文化を学ぶとともに,日本語及び日本文化を世界に広め,相互交流と理解を深めていくことが必要である。
 特に今日の我が国にとって,国際社会の中で我が国への理解を深め,諸外国と共存していく上で,対外的な文化発信を積極的に行っていくことは極めて重要なことである。そして,このような対外的な文化発信の基盤となり,我が国文化の「顔」となるのが海外における日本語教育であると言える。
 平成5年現在,海外の日本語学習人口は162万3,455人(国際交流基金調べ)であり,この学習人口は現在更に増加しているものと見込まれる。日本語学習者数の増加をもたらしているのは,海外においても日本語に対する学習需要が高まっていることによるものであが,その要因としては,我が国の科学技術に対する関心や芸術文化の交流,ビジネスや就職に当たっての必要性など,様々な動機による日本やその文化に対する関心の高まりがあるものと言える。
 このことは,学習者層についても,かつてのように専門的な研究者となるため高等教育機関において日本語教育を受ける者のみならず,初等中等教育段階で日本語を学習する者や職業上の実務的な必要性から日本語学習に取り組む者など,多様な学習者を生み出していることにも現れている。
 そして,海外におけるこのような多様な日本語学習者の学習需要に応じて,その積極的な支援を行っていくことこそが,我が国に求められている文化発信の基盤的な事業であると言える。

3 情報化社会における日本語教育

 高度情報化社会の到来は,単に情報量の飛躍的な増大をもたらしたことにとどまらず,新しい情報メディアの誕生,発展によって,文字,音声,映像が一体化した情報交換を容易にし,遠距離間の双方向的なコミュニケーションの可能性を現実のものにしつつある。
 そのため,日本語教育の分野においても,新しい情報メディアが注目されている。日本語学習者がいつでも,どこでも,効果的に学習できるような環境を実現するためには,新しい情報メディアを活用した日本語教育の発展が期待される。
 日本語の教育方法として,教授者と学習者との相互関係の上に教育が成立することを基本とするのは,他分野の教育と異なるものではない。そして,これまでの日本語教育の実際においても,教室において,教授者と学習者が同一の空間を占める直接的な教授方法によることが一般的であった。
 しかしながら,これまで見てきたとおり,現在国内においても,日本語学習者層は拡大し,多様な学習者が現れてきている。そのため,一定の時間に一つの教室に集まり教育を受けることが,必ずしも現実的とは言えない日本語学習者も生じている。また,海外において日本語学習を希望する者すべてに直接的な教授方法による教育機会を提供することも困難である。
 このように日本語学習者が多様化し,直接的な教授方法によることが難しい学習者が増えている中で,日本語学習の場を拡大し,より多くの学習機会を提供する手段として,インターネットや光・磁気ディスク,衛星通信など新しい情報メディア(媒体)を活用した日本語教育の可能性が登場してきている。
 また,このような新しい情報メディアの活用は,直接的な教授方法による授業を受けることが難しい学習者に対してのみならず,専門的な日本語教育を受ける者に対しても,直接的な教授方法を補完し,より教育効果をあげる上で有効な手段となり得ることが考えられる。
 日本語教育における新たな情報メディアの活用は,その研究開発が緒に就いたばかりであるが,日本語教育の教育形態を大きく変化させ,その飛躍をもたらす可能性を秘めていると言える。

4 日本語教育行政を取り巻く状況

 国内及び海外における日本語教育への需要の増大と多様化に対応し,現在,日本語教育に関係する事業を行っている機関・団体として,後述するように,多くの省庁や法人等がある。そして,これら多種多様な事業を行っている機関・団体の間で,日本語教育に関するネットワークを構築し,総合的な視野の下に,全体として効果的・効率的な事業を展開できるようにすることが大きな課題になっている。
 一方,現在,政府においては中央省庁等改革をはじめとした行政改革を推進しているが,この中央省庁等改革においては,文化庁が「文化行政機能の充実」を図るとともに,「国際文化交流については,外務省との連携を更に緊密化し,文化庁がより重要な役割を果たす」こととされている(中央省庁等改革基本法第26条)。さらに,行政機関の間における政策調整については,「国の行政機関は,その任務を達成するため行政機関相互の連絡並びに政策についての調整を図り,すべて,一体として,行政機能を発揮するようにしなければならない」ものとされている(中央省庁等改革に係る大綱)。
 このような現在の中央省庁等改革の状況を踏まえたとき,日本語教育施策については,関係機関等の間の連携・協力の抜本的な強化など,その推進体制を大きく発展させていくべき時期に至っていると言える。

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